樺太西岸のトイク岬(Mys Tyk)に対応する。 『蝦夷紀行』で海面の結氷により長く滞在した樺太の岬。解氷を待って北上し、のちにここに住む人々が林蔵の大陸渡航に同行する。港としての役割と案内人の出身地の両面で現れる。
名称の言語的由来は未確認。
参考文献
用例(5件)
- 龍谷大学図書館 · 第1冊 · 5コマ・7行 · ノテト
…を残し余は悉く帰り去しめ漸にして地夷五人を雇ひ舟を出して四月九日ノテトの崎に至りしに海上猶凍合して船をやる事不能故に五月七日迄此所に滞留せしにウシヨロよりの傭夷また是…
- 龍谷大学図書館 · 第1冊 · 5コマ・20行 · ノテト
…に至つきぬ此ところ北島極北の地にして夷家わつかに五六屋ある処なりノテトより此所に至ルの間嶋と素韃地の相対せる廻海にして潮水悉く南に流れ其間瀬路ありといへとも波涛激沸の…
- 龍谷大学図書館 · 第1冊 · 6コマ・5行 · ノテト
…夷従ひ行事をかえんせす已事を得すして同十七日船を返し同十九日終にノテトに帰り至りぬ貯糧既ニ尽なんとすれハ心を用ひて米飯をくらわす大抵魚肉草根木実のみ食し其精心の不堪に…
- 龍谷大学図書館 · 第1冊 · 8コマ・11行 · ノテト
…むもはかりかたし其時ハ汝是を持帰りシラヌシの府に捧くへしと命し置ノテトの土夷四人 男夷 のみ ウヤクトウの夷三人 男一人女一人 児夷壱人 林蔵を会して八人山旦船 長凡…
- 龍谷大学図書館 · 第1冊 · 8コマ・13行 · ノテト
…を会して八人山旦船 長凡五尋余 巾凡四尺計 一艘に乗組六月廿六日ノテトの崎を発して東韃地方に赴しに其日風が為あしく潮路又つよく起り軽軟の夷船是を凌行事あたはす終に船を…