2の秋再ひをしての奥地に3至らしむるに其年の七月十三蝦夷を出4帆して其日に至る此所土着の住夷多5からされハ従行の夷をやとふ事あたはす夷船の6奥地に趣くものあるを待とかくして日数三日逗7留し同十七日夷船に乗組此所を発し日数五日を経8て同廿五(三?)日地名に至る此所にまたの9如く番屋ありて番人是に居し地夷を指揮す10土着の従夷も亦多き所なれハ則番人をして船子31となすへき者を撰みやとふといへ共此年の夏2初見分の時従ひ行し蝦夷等帰り来て後奥地3異族の夷情悍猾の甚しき又ハ土風の異行路の難苦4なる事を語り伝へけれハ従行へしといふもの5壱人もなく彼是して日数八日の間此所に遅6滞し種々の謀をなして漸く船子六人を雇ひ7八月三日此所を発船し日数十三日を経て同十五日8に泊しぬるに翌十六日数十人船六艘ニ9乗組此所に来り従夷を捕へて種々の謎言妄語をな10し奥地に至る事成かたしなと罵り且其齎し行11所の糧酒諸雑器も暴に奪ひ取んとしける故従夷は12大に恐怖のし言語ハ通せす実に施すへき策なく13よく〳〵従夷を諭して其暴意に逆せさらしめ其程14をはかりて米酒なと若干分与し其心を慰けれは15漸にして暴を止り船を出して南方に進み去りぬ16従夷其始末を察して是から南方に帰り去らんと17云出し更に奥地に進むへしと云者なかりしかは18苦心する事只ならすといへとも夷のいふ所実19に眼前の所なれは其恐怖する事其理なきとあらす20さらハとて是より帰り去時ハ何時ニか奥地に至り得へ41しと夫より酒杯あたへ色々の耳言恵教を以て其心を2慰めけれは漸に解心して従ひ行へしといふに至り大に3力を得て和洋を窺ふの間日数十一日にして漸風波も4穏なれハ同月廿五日此所を出て九月三日に至り5付ぬるに是より奥地ハ異俗の夷域に入事既に深く6且日を追て寒威増劇に趣き貯糧も又多からされ7は従夷しきりに帰りさらんと云て強ゆへからさる勢8なれは已事を得すして終に船を返し九月十四日9に帰り着ぬ去にても此志を空して徒に帰り10さらん事の口惜けれハ如何にもして帰上の凍合する11を待水上を経歴して奥地に至るへしと思ひ十月十四日12まて夷家に寓宿しけるに日を追て積雪山をなすと13いへとも海上更に凍合セされハ如何に思ふ共奥地14に至るへき術なく旦日々食糧も残少々なり終に15雑具を約して船と共に夷家に託し置六夷を牽16ひて積雪をおかし陸行して十一月廿六日に帰17り至り夷家に寓宿して其年を踰へ巳年正月廿18八日まて此所に滞留し食料の貯なと調へて廿九19日此所を出又奥地に向しに二月二日に至る是より20奥地ハ悉々附属の夷域なれハ初島の夷恐怖51する心あるに地夷の流言する処初島の夷奥地に入時2ハ往時より交易の諸品を貸置し続の為に質と3なし奥地の夷是を捕らんといたしなと聞及ひれは4去年の狼藉を思ひ出し従夷等悉く恐怖し5更に従ひ行へしといふ者なし故に六夷の内悍骨な6る者一人を残し余は悉く帰り去しめ漸にして7地夷五人を雇ひ舟を出して四月九日の崎に8至りしに海上猶凍合して船をやる事不能故に五月9七日迄此所に滞留せしによりの傭夷また是より10奥地に入事を憚りける故此所にして舟た一夷を傭11先駈の者となしけれは後は皆漸に心を安ふし船を出す12へきも及ひ船一艘を借て(船の図前偏に出す13の送る所なり是より奥地ハ湖頗多くして14初島歌弱の船を以て進退する事あたはす15故に地夷の用る所上且船を借るといふ)同八日此所を発し同16十日に至りしに従夷亦行事を恐るるに依て17止事を得す地夷壱人を傭ふてまた先ン導となし18同十二日此所を発し其日に至つきぬ此ところ19北島極北の地にして夷家わつかに五六屋ある処20なりより此所に至ルの間嶋と素韃地の21相対せる廻海にして潮水悉く南に流れ其間瀬22路ありといへとも波涛激沸の愁も少し小軟の夷船61なれとも進退さまて難からす此所よりして北地は2北海漸々にひらけ潮水悉く北に潅き怒情大に徴す3れハ船をやる事かなはすさらハ山を越て東岸に出ん4といへは従夷従ひ行事をかえんせす已事を得す5して同十七日船を返し同十九日終にに帰り6至りぬ貯糧既ニ尽なんとすれハ心を用ひて米飯をくら7わす大抵魚肉草根木実のみ食し其精心の不堪に至て8終に一握り二握りの米粥なとすすり何卒して此嶋の9周廻を極め尽さんといろ〳〵といへとも東岸ハ大洋を10かけて覆没の然多けれハ従夷船をやとも又従ひ行へ11しと云者なけれハ如何ともすへき術なく此上ハ我一人12山を越へ谷を渡りて東岸に至るへしと覚悟し泣13夷ハ悉くに帰し初より従ふ所の初島夷一人14を残し置て此所に滞留し奥地の事とも地夷にたよ15りて質問せしにの経界も此島を去る事をから16す時々其属夷等船に乗して燧巧の火器を持し17の海上に遊猟する事少からすと聞けれハ猶更ニ18其経界の詳を極さらんも云かいなき事と思ひ幾年19此所にありとも是非其経界を極へしと決し終に20夫家に寓居し其業も助け漁猟をなし木も樵り網を71すきなとして有けるに此所の夷風初篇中に載る如く2殊に女を貴みて男夷ハ徒に奴僕の如くなれは常3に女民に媚ヒ専ら其作業も助け木実草根を取ん4とて出行時ハ船を漕行て是を助け或は衣服を裂て5是を与へなとす然とも嫌疑の事あり時は男夷また6妬忌の恐れあれは事々巨細に其別をなし疑を通7るの斗をなしてありけるに地夷漸々に和し来て相8怪さるに至りけれハ時々東岸の地理の経9界等之事を聞に此島は本より雑島にして接境の10夷壌なく仮令東岸に至り得る共の境界分余11なるへき事ならすに入て其事実を極たらん12ハ安かるへしと聞へ且ハ其地猶此島の如く13〇〇〇〇サンタ14ン〇〇〇なと称す。15る異族のもの幾種ともなく其部落をわかてる16諏なれ共何国の属夷なる事も分明ならす所謂17の官府と称する者何者の置し所にて言語ふ18通の夷活なれは詳にする事あたわす命なくし19て異域に入も亦た国禁の恐れはといへとも皆此20島に預る事の専務なるに其事の蘊奥を探り81尽さすして帰り来らんも再見を命せられし其詮あ2るましく思ひ何卒入貢の時に至て伴ひ行ん事を3約せんと思ひ日頃媚置し女夷等に語りて其事を説せ4けれは男夷事故なくうけがい幸近き内彼地に趣く5事成れは船の事を挟候て行へしと約しける故6書を作りて従夷に渡し其外是迄訊置し此後の7事ともつつりたる書物は悉く是に託し我万一彼8地にして死亡の事もはかりかたく旦は異域に入9事なれは如何なる事ありて帰り来たる事を得さ10らむもはかりかたし其時ハ汝是を持帰りの11府に捧くへしと命し置の土夷四人男夷のみ12の夷三人男一人女一人児夷壱人を会して八人13船長凡五尋余巾凡四尺計一艘に乗組六月廿六日の崎を発14して地方に赴しに其日風が為あしく潮路又15つよく起り軽軟の夷船是を凌行事あたはす終に16船を返しての崎に至りぬるに日々風波あしく17日数五日の間此所に繋泊す時三伏の候といへとも風18殊に冷に烟霧日々濃朦として衣裳の潤湿する事19雨中に蓑笠をつけさるか如し此所産魚少く大20抵滞泊中万実を食となすゆへに腹中痞痛して91心気亦難得といふ漸七月二日に至て風波穏なる2事を得て船を出すといへ共烟霧は猶濃猶濃とし3て東西を弁知しかたし洋中を行事凡三里半余り4にして初ての地方と名付たる崎を見5かけ夫より地方に添ふて南流しと称せる6崎に至りけるに此所湖瀬ありて怒涛の激沸する7事実に急何の如くなれハ夷船既にたえさらんと8する事数度なりしを漸凌行て路の程凡十丁半9南の方と称する所に至り入湾の内に10船をつなきて和潮を待の間炎等驚魚を釣て水11煮し是を喰しむ草根不満の腹中僅に偏る事を12得て痛気も亦返く事を覚ふ其日も雨に傾きぬるに13漸減潮の候にむかゆ波濤も漸に静なれは其所を出14て一里半斗行其夜はと称する所に泊しぬ15一往道中の泊所何れの所といへ共夷船に寓するに16有されは悉く海浜河岸に仮屋を造り是17に泊す下是に倣ふ
18一仮屋の製前篇中の部に載する如き椛木皮19を以屋を覆ふ其状図の如し其同ねハ大抵柳20枝の直なりを切来りて地上に立是を造る其中101唯に蹲居して雨露を遁るのみにして殊に2迫隘なり故に炊煮の事は晴雨共屋外にして是3をなす穂猥哩名滞留の訳夷皆如此といふ
4一軟弱の夷船なれハ其風波の為に破敗せられん5事を思ひ夜毎に岸上に損挽揚け往道中6一夜も水上に浮繁する事なし亦難苦の7一端といふへし
8同三日船を出して泊湾9なと称する所を過と称する所に至て泊す10同四日此所にして船中の雑具残して取置して空船11となし地上に挽揚るとする事のありて其日は12此所にて暮しつ
13一より此所に至るの海岸凡六里許の間14大底岩角あしき処のみ多く殊に出碑ある15処は悉く潮水ありて波濤の滞湧する事実に16滝壺の如し是によつて舟をよすへきの地方17稀にして只上につらねたる。18。の三処あるのみ然共何れの処も19人家有にもあらす只船を繋々に便よく且ハ20産魚も有て良糧を取得へき所なるのみ其111地洀漁も又なきもあらすといへ共大抵遠浅に2して磯船たにも進退する事かたし
3一此辺よりヤンコト何を経てに至るの間其4地は悉く塵土にして樹木の繁茂する事5の地味に異なる事なし故に書6下地勢樹木の事異状あるにあらされは論7し出す事なし
8一此所朝蚊の多きこと殊に糠粃を散するか如し9人の面目手足に集附しく肉色を見さるに10至る然れ共昼の中のみにして夜陰其前11在をしらす
12同五日にハ昨日明置たる空船を盪挽し其程13二拾余ても有ける山路を越と称せる小川14に亘り船をは川中に浮め置帰り来て荷物何15くさと負担し夷共に其所に運送り其日一日16中往返のみして夕陽の頃漸く船に積終りけれハ17其夜は此所にとまりぬ
18一東鞋の属夷ハ論なく其地東南の海岸四百19余里の間に住める諸韃種の夷人に至て20交易する者ハ悉く此所に陸上挽船する事皆121如斯する事なれハ此前の山路は大なる街道の2如く旦夏月中往還の諸夷も大抵絶る間も3なく此処に至りし時も(界の地名)4抔称せる異類の夷其外にも種々
5の船八九艘も泊り在しといふ
6一夷カラツト島に到る時ハ大抵を7乗下りて島に達すといへ共或は此処に至て前の8如く船を引越に出に渡る事有と云
9一此処にて(地に居する者)の多10夷粟を船夷に贈りし故炊き食して甚美11なる事を覚ふと云
12同六日を発して縁を下りけるに此川は小川13にして処々に岩瀬多く流下すへからさる処も有け14れハ船を下りて夷と共に是を挽に其流水殊に清15冷骨に徹して疼痛するに堪す蚊多し是16の如く烟霧又咫尺を弁せす漸にしての17源に出けれハ夫よりハ水も深く停滞する処もなく18と称する所を過きに入ぬ19一此湖水の両岸大抵石窟多く其広き所に至20りては両岸の直径凡一里許にして其中彼岸131の類もなく浩々たる一大湖なり此湖時とし2て水涸或は其半を減し又は大に減しての3辺に至る事あり夷等不幸にして其時に当り4此所に至る時は泥上小船を挽き許多くの5難苦を経てマンコーの河に達すといふ
6其夜ハ潮の中史と称する処にて7泊しぬるに殊に冷風にして手足の凍寒する事8本邦の厳冬の如し同七日天湖中を行事凡二里9半許にして(本邦の人伝称するなるものこれなり)と称する10処に至りしに住夷等大に怪みて数十人群集して11を囲み懐を探り衣をひき手足を尋し髪12を握り暫時の間は櫛振笑畢してやまさりしと13いふ韃地に入てより此処に至りて初て土着の夷家14有を見ぬ其夜は夷家に寓居す
15一住夷ハにして其形状の16夷に異なる事なし然共其器拭は17の者多く陶器なと多く用ゆ衣服又木綿18衣を着す故に女夷なと何となとな上品にして19俣嫩艶の者多し
20一此所戸数凡弐拾許ありて壱人141弐人通沢をつかさられる夷壱人ありて2衆夷のよく知れる所なり
3一此地は旧夷仮府を置し処なれ共交易4の事によりて庶夷と闘争わし事ありし5(年歴不詳)ゆへ今廃すといふ
6一此地に至りし時ハ夷来居して交易7をなして是に依てか所々酒宴等の事ありて8鼓音なと響き大に中の寂寥と9して人なき如きの類にあらす
10一此所既にの河岸なり
11同八日を発してを上りけるに烈風12にして船をやるへからす僅一里余上流して13と称する処に泊す其夜大雨なりしに河渓遽造の14仮屋なれハ雨漏りて一身全く湿ひ終夜寝る事15あたはす此処また五六戸の部落なり16一ハ聞しにも勝りたる大河にして其17名義も錯報すれは経る所又は諸夷の18伝説する所水道の屈曲河中の産物を合19記して巻末に附す
20同九日此所を出て凡五里許も上流しけるに又烈風151船を距み漸く日暮て後岩崖に船を繋き仮2屋をいとなみ泊しける其地名を問にと名3付たる五六戸の部落なりと答ふ4同十日又船を出して二里半許に流しと5いふ処に至りしに此所と名付たる異族6夷の部落船夷等船を買の事ありて其日は此7処に滞泊す
8一地夷の容貌理髪其他衣類に至るまて9に異る事なし其言語は小異ありといへ共10一日の滞泊中其詳なる事を知らす
11一此夷種総て海松の大材を以船を造る事を12業とす南方諸夷の用る処皆此地の造り出す13所なり故に船夷も此処に至りて齎し行処の14獣皮を以船一艘を易へ得是より諸雑器を15二艘に分積しに趣くといふ
16一此辺よりして奥地は気候少しく実して17温暖なる事と覚ゆ故に草木の形状また18奥地地の多きにあらす青々蒼々19として繁茂する故に南方諸夷地に見さる20大材を産す天度にさまて隔絶なくして161かかる事有けるは可怪事なるへし
2一地夷の内夷の如く剃髪のものあるを見3かけたれ共其住夷なるや否を問はさりしまま4何者たる事を知らす
5同十一日を出凡四里許も上流しけるに6に至り着ぬ是の仮府の有処なり船夷7を伴ひ来りたりと訴へけれはの官夷等泊8宿して在ける廬船に伴ひ来るへしと令しける故9船夷舟をすすめて廬船の側に至りしまま直に10廬船に乗移り官吏の側に至りしに官夷衣11冠を調へ応接す其事終りて後厨房の処に蹲12居せしに衆夷等又大に怪み群来てを弄す13る事またに陪せりといふ其後夷14其みつから乗所の船中に滞留すへしと云けれは15船夷是を許さす遂に船夷の仮屋中に雑居す16集居の夷日々仮屋に来りてを揶揄笑弄17して其喧嘩なるに堪さりしに夷時々来18て是を制し夜中また此仮屋のみを廻見せし19といふ