肥前
地名本文の表記 肥前
瀬戸物類を積んで来る廻船の出身地として記される。
本文に基づく説明
地名の由来言語: 日本語
言語判定は暫定
本文の呼称からの暫定分類。語源・現代の地名との対応は要照合。
用例 1件
- 筑波大学附属図書館 · 28コマ・9行 · 肥前
…込所の国々は津軽南部秋田酒田加賀能登越後越前佐渡其外大坂船も来り肥前より瀬戸物類をも積来る事ありされは此江指に去々年かわりたる事あり七月初旬より雨降つゝきやう〳〵廿…
ほっかい ずいひつ · Hokkai zuihitsu · 板倉源次郎 · 1739 · 散文 · 目録レコード
この資料に現れる固有名・語句と、各写本の出現箇所。
翻刻済みの本文を対象とする初期の索引です。未検出・誤検出が残る可能性があります。地名の由来言語と語句の記録言語を区別し、未確認の判定は暫定・未詳と表示します。本文は伝聞・伝承・著者の推測を含み、地名の出現は訪問の証拠とは限りません。
本文の表記 肥前
瀬戸物類を積んで来る廻船の出身地として記される。
本文に基づく説明
地名の由来言語: 日本語
言語判定は暫定
本文の呼称からの暫定分類。語源・現代の地名との対応は要照合。
…込所の国々は津軽南部秋田酒田加賀能登越後越前佐渡其外大坂船も来り肥前より瀬戸物類をも積来る事ありされは此江指に去々年かわりたる事あり七月初旬より雨降つゝきやう〳〵廿…
本文の表記 乙部
江指から西へ三里と記される。巡検と熊の記事に現れる。
本文に基づく説明
地名の由来言語: アイヌ語
言語判定は暫定
本文の呼称からの暫定分類。語源・現代の地名との対応は要照合。
…うち見には聞伝へとは違ひてふしきの思ひもさめけり此江指より三里西乙部といふ所迄御巡検も御出の場所にて乙部より十二里熊石といふ所松前領分西方の限りなり東方は松前より廿…
…ひもさめけり此江指より三里西乙部といふ所迄御巡検も御出の場所にて乙部より十二里熊石といふ所松前領分西方の限りなり東方は松前より廿七里亀田といふ所領分の限りにて亀田よ…
…馬を取事は猫の鼠をとるよりも易く平首を推折て肩に引かけ山へ入と也乙部といふ所にて馬を見入れ夜々其家に来るを里人とも其馬の左右に四人各竹鑓を持厩の上には八寸角をならへ…
本文の表記 駿河
亀田付近の景勝を比較する国名。
本文に基づく説明
地名の由来言語: 日本語
言語判定は暫定
本文の呼称からの暫定分類。語源・現代の地名との対応は要照合。
…地あり畠として百姓住セり此辺の山は尾崎長くそひへゆるやかなる景勝駿河ことくなり此亀田より三十里東蝦夷地に臼ヶ岳といふ山あり硫黄気にて絶頂焚崩れ臼の形のことくに残れり…
本文の表記 臼ヶ嶽
絶頂の焼け崩れと麓の善光寺について記す山。
本文に基づく説明
地名の由来言語: 未詳
言語判定は暫定
名称の言語的由来は未確認。
…くそひへゆるやかなる景勝駿河ことくなり此亀田より三十里東蝦夷地に臼ヶ岳といふ山あり硫黄気にて絶頂焚崩れ臼の形のことくに残れり麓に善光寺の弥陀とて安置セり蝦夷人も是を尊…
…云伝ふ蝦夷地 江 は往来禁制なれとも廻国の僧は忍ひて参詣する也臼ヶ岳の麓は又入江にて景勝無類の所にて太田山東は臼ヶ岳とて信心のものは参詣する山なり一国悉く高山にて平…
…忍ひて参詣する也臼ヶ岳の麓は又入江にて景勝無類の所にて太田山東は臼ヶ岳とて信心のものは参詣する山なり一国悉く高山にて平地なき所故格別に高山と見るもなし臼ヶ岳より五六十…
…参詣する山なり一国悉く高山にて平地なき所故格別に高山と見るもなし臼ヶ岳より五六十里奥にシリヘツ山といふあり富士山を直に移居たることくなる高山なり然れとも富士十にして三…
本文の表記 善光寺
臼ヶ嶽の麓で弥陀を安置すると記される寺。
本文に基づく説明
…臼ヶ岳といふ山あり硫黄気にて絶頂焚崩れ臼の形のことくに残れり麓に善光寺の弥陀とて安置セり蝦夷人も是を尊敬し不思義の奇瑞も有よし云伝ふ蝦夷地 江 は往来禁制なれとも廻…
本文の表記 弥陀
善光寺に安置される仏として本文が記す宗教的存在。
本文に基づく説明
…いふ山あり硫黄気にて絶頂焚崩れ臼の形のことくに残れり麓に善光寺の弥陀とて安置セり蝦夷人も是を尊敬し不思義の奇瑞も有よし云伝ふ蝦夷地 江 は往来禁制なれとも廻国の僧…
本文の表記 太田山
信心のある人が参詣する山として記される。
本文に基づく説明
地名の由来言語: 日本語
言語判定は暫定
本文の呼称からの暫定分類。語源・現代の地名との対応は要照合。
…廻国の僧は忍ひて参詣する也臼ヶ岳の麓は又入江にて景勝無類の所にて太田山東は臼ヶ岳とて信心のものは参詣する山なり一国悉く高山にて平地なき所故格別に高山と見るもなし臼ヶ岳…
本文の表記 富士山 · 富士
シリヘツ山・岩鷲山・岩城山の形状と高さを比較する山。
本文に基づく説明
地名の由来言語: 日本語
言語判定は暫定
本文の呼称からの暫定分類。語源・現代の地名との対応は要照合。
…格別に高山と見るもなし臼ヶ岳より五六十里奥にシリヘツ山といふあり富士山を直に移居たることくなる高山なり然れとも富士十にして三ッは低かるへし南部にて岩鷲山津軽にて岩城山…
…リヘツ山といふあり富士山を直に移居たることくなる高山なり然れとも富士十にして三ッは低かるへし南部にて岩鷲山津軽にて岩城山は南部津軽の富士と称美す形状は少し似たる所も…
…十にして三ッは低かるへし南部にて岩鷲山津軽にて岩城山は南部津軽の富士と称美す形状は少し似たる所もあれとも高さは富士の三分一なるへしシリヘツ山は此両山よりは倍セし高さ…
…岩城山は南部津軽の富士と称美す形状は少し似たる所もあれとも高さは富士の三分一なるへしシリヘツ山は此両山よりは倍セし高さなり蝦夷中の高山と船乗の者とも称て松前領分中央…
本文の表記 岩鷲山
南部の富士と称すると記される山。
本文に基づく説明
地名の由来言語: 未詳
言語判定は暫定
名称の言語的由来は未確認。
…ることくなる高山なり然れとも富士十にして三ッは低かるへし南部にて岩鷲山津軽にて岩城山は南部津軽の富士と称美す形状は少し似たる所もあれとも高さは富士の三分一なるへしシリ…
本文の表記 岩城山
津軽の富士と称すると記される山。
本文に基づく説明
地名の由来言語: 未詳
言語判定は暫定
名称の言語的由来は未確認。
…山なり然れとも富士十にして三ッは低かるへし南部にて岩鷲山津軽にて岩城山は南部津軽の富士と称美す形状は少し似たる所もあれとも高さは富士の三分一なるへしシリヘツ山は此両山…
…登りて見る時は目力の及ふ所はさへきる山なし南は南部焼山より津軽の岩城山西はケンニチの岳ヲコシリ海中に見へ東は箱館なり北へ続て群嶺連り陽日ユラツフ遠く松前は直下にして船…
本文の表記 南部焼山
仙見ヶ嶽から南方に望むと記される山。現在地の比定は未確定。
比定・解釈未確定
地名の由来言語: 日本語
言語判定は暫定
本文の呼称からの暫定分類。語源・現代の地名との対応は要照合。
…半腹に至る此絶頂へ登りて見る時は目力の及ふ所はさへきる山なし南は南部焼山より津軽の岩城山西はケンニチの岳ヲコシリ海中に見へ東は箱館なり北へ続て群嶺連り陽日ユラツフ遠く松…
本文の表記 ケンニチの嶽
仙見ヶ嶽から西方に望むと記される山。
本文に基づく説明
地名の由来言語: アイヌ語
言語判定は暫定
本文の呼称からの暫定分類。語源・現代の地名との対応は要照合。
…時は目力の及ふ所はさへきる山なし南は南部焼山より津軽の岩城山西はケンニチの岳ヲコシリ海中に見へ東は箱館なり北へ続て群嶺連り陽日ユラツフ遠く松前は直下にして船の寄も見ゆるなり…
本文の表記 ヲコシリ
仙見ヶ嶽から海中に見えると記される場所。
本文に基づく説明
地名の由来言語: アイヌ語
言語判定は暫定
本文の呼称からの暫定分類。語源・現代の地名との対応は要照合。
…ふ所はさへきる山なし南は南部焼山より津軽の岩城山西はケンニチの岳ヲコシリ海中に見へ東は箱館なり北へ続て群嶺連り陽日ユラツフ遠く松前は直下にして船の寄も見ゆるなり是松前中…
本文の表記 ユラツフ
仙見ヶ嶽の眺望の記事に現れる地名。
本文に基づく説明
地名の由来言語: アイヌ語
言語判定は暫定
本文の呼称からの暫定分類。語源・現代の地名との対応は要照合。
…はケンニチの岳ヲコシリ海中に見へ東は箱館なり北へ続て群嶺連り陽日ユラツフ遠く松前は直下にして船の寄も見ゆるなり是松前中の金銀山の根本也金銀山の事も本業なれハ深山幽谷へ分…
本文の表記 マシケ
光國が派遣した船の到達地として記される。本文ではソウヤに達せず帰ったとする。
本文に基づく説明
地名の由来言語: アイヌ語
言語判定は暫定
本文の呼称からの暫定分類。語源・現代の地名との対応は要照合。
…立て松前へ遣され蝦夷へ乗廻しけるに順風まれにして日数懸り西蝦夷地マシケといふ所まて渡りけるに程なく秋の末にも及ひ海上あらく成て乗かたき故ソウヤまても渡らすして帰りしと…
本文の表記 ウテツ
外ヶ浜の四郎三郎が住むと記される地名。
本文に基づく説明
地名の由来言語: 未詳
言語判定は暫定
名称の言語的由来は未確認。
…松前蝦夷と出会する事をのそます系図を糾して其差別をするなり外ヶ浜ウテツといふ所に四郎三郎といふ蝦夷人ハ巨擘者にて智謀本邦の人におとらす外ヶ浜の蝦夷人の酋長なる故に弘前…
本文の表記 シラヲイ
著者が招いて酒を振る舞った二人の出身地として記される。
本文に基づく説明
地名の由来言語: アイヌ語
言語判定は暫定
本文の呼称からの暫定分類。語源・現代の地名との対応は要照合。
…セり来るに連立ては来らす銘々に来れり是は東蝦夷松前より百二三十里シラヲイといふ所の蝦夷也名はシラノコヲシムカといへり名を尋事其者に尋てハ答へさる法なり是か名は彼に聞彼か…
本文の表記 クル
義経の社があるとする筆記の地名。本文自身が「サルの聞違」とする。
本文に基づく説明
地名の由来言語: アイヌ語
言語判定は暫定
本文の呼称からの暫定分類。語源・現代の地名との対応は要照合。
…て暴風に合吹返されたりといふ事を作りたりといへり又或筆記に東蝦夷クルといふ所に義経の社ありて今にたへす祭り此所の蝦夷はいふに不及余村の蝦夷も崇敬するシヤクシヤヰンの…
…ふに不及余村の蝦夷も崇敬するシヤクシヤヰンの時出たるヲニヒシも則クルの蝦夷なりといへり此事尋けるに松前中にあへて知ものなしヲニヒシか村はサルといふ所なり山中に岩屈あ…
…へ仙人住けるあとゝ云伝ける事ハあれとも義経の社とてはなしといへりクルはサルの聞違なるへし西蝦夷地六条の間といふ所に弁慶崎といふ所あり義経此所より北高麗へ渡り給ふとも…
本文の表記 サル
ヲニヒシの村として記される地名。クルとの関係を本文が検討する。
本文に基づく説明
地名の由来言語: アイヌ語
言語判定は暫定
本文の呼称からの暫定分類。語源・現代の地名との対応は要照合。
…夷なりといへり此事尋けるに松前中にあへて知ものなしヲニヒシか村はサルといふ所なり山中に岩屈ありていにしへ仙人住けるあとゝ云伝ける事ハあれとも義経の社とてはなしといへ…
…住けるあとゝ云伝ける事ハあれとも義経の社とてはなしといへりクルはサルの聞違なるへし西蝦夷地六条の間といふ所に弁慶崎といふ所あり義経此所より北高麗へ渡り給ふともいへり…
本文の表記 六条の間
弁慶崎の所在地として記す地名。表記と現在地の比定は未確定。
比定・解釈未確定
地名の由来言語: 未詳
言語判定は暫定
名称の言語的由来は未確認。
…れとも義経の社とてはなしといへりクルはサルの聞違なるへし西蝦夷地六条の間といふ所に弁慶崎といふ所あり義経此所より北高麗へ渡り給ふともいへり是も又定かならす東蝦夷地に鍬先…
本文の表記 弁慶崎
義経が北高麗へ渡ったとする伝承中の岬。著者は伝承の確実性を留保する。
本文に基づく説明
地名の由来言語: 日本語
言語判定は暫定
本文の呼称からの暫定分類。語源・現代の地名との対応は要照合。
…はなしといへりクルはサルの聞違なるへし西蝦夷地六条の間といふ所に弁慶崎といふ所あり義経此所より北高麗へ渡り給ふともいへり是も又定かならす東蝦夷地に鍬先といふものありけ…
本文の表記 畿内
後藤の一類が乱を避けたという伝承中の地域名。
本文に基づく説明
地名の由来言語: 日本語
言語判定は暫定
本文の呼称からの暫定分類。語源・現代の地名との対応は要照合。
…に所謂蝦夷象眼は今はなく元来蝦夷にて仕出たる物にてなく後藤の一類畿内の乱をさけて江州より松前へ渡り産業なきゆへ目貫縁頭等を彫て蝦夷へ渡し産物と交易して渡世とせしなり…
本文の表記 日本
日本人・衣類等の語に現れる国名。本文の本邦という自称と関係する。
本文に基づく説明
地名の由来言語: 日本語
言語判定は暫定
本文の呼称からの暫定分類。語源・現代の地名との対応は要照合。
…ケ)粕(シラリ)/油(シユム)/煙草(タンバコ)/塩(シツブ)/日本小袖(シヤランベ)/木綿(チンキレ)/帯(クツヽイタウフ)/夷服(アツシ)金銀(シヤモタカラ)/…
本文の表記 若狭国
松前家元祖が来たという本文の由来記事に現れる国名。
本文に基づく説明
地名の由来言語: 日本語
言語判定は暫定
本文の呼称からの暫定分類。語源・現代の地名との対応は要照合。
…国氏箱館に居り両雄相続て戦争止時なし松前家元祖慶広は甲斐源氏にて若狭国より北国の乱をさけて松前へ来り上の国山に客と成て在けるか元来英雄たるにより蠣崎氏を帰依せしめ終に…
本文の表記 上の国
松前家の由来記事に現れる地名。本文では勝山に改称したとする。
本文に基づく説明
地名の由来言語: 日本語
言語判定は暫定
本文の呼称からの暫定分類。語源・現代の地名との対応は要照合。
…崎氏を帰依せしめ終に下の国氏をも幕下とし松前一統せられしと也其後上の国を改め勝山と称し上の国山箱館の両城を廃して東西の中央たるにより松前を居城とせしより則地名を以氏と…
本文の表記 勝山
松前家の由来と毘沙門天の祠の記事に現れる地名。
本文に基づく説明
地名の由来言語: 日本語
言語判定は暫定
本文の呼称からの暫定分類。語源・現代の地名との対応は要照合。
…しめ終に下の国氏をも幕下とし松前一統せられしと也其後上の国を改め勝山と称し上の国山箱館の両城を廃して東西の中央たるにより松前を居城とせしより則地名を以氏とせし事は大…
…前を居城とせしより則地名を以氏とせし事は大閤秀吉公治世の頃となり勝山に毘沙門天の祠あり其頃海上より唐櫃一ッ流れ来るを取りて毘沙門と称し勝山の鎮守となし祠を建て春秋に…
…毘沙門天の祠あり其頃海上より唐櫃一ッ流れ来るを取りて毘沙門と称し勝山の鎮守となし祠を建て春秋に祭るとなり勝軍の例によりて今に領主継目の時は必参詣し給ふとなり其毘沙門…
本文の表記 多賀の城
鎮守府・壺の碑・里程の記事に現れる城。
本文に基づく説明
地名の由来言語: 日本語
言語判定は暫定
本文の呼称からの暫定分類。語源・現代の地名との対応は要照合。
…ふ往古みちのくの蝦夷と聞ゆるは津軽南部辺は残らす蝦夷にて有けるを多賀の城に鎮守府出来て次第に風俗を変し五穀生して今の国となれりされは津軽蝦夷は松前蝦夷にはあらす古陸奥の…
…も違ふ事なし仙台領に一ノ関といふ所あり是古の関所有ける所なるへし多賀の城壺の碑に蝦夷国界を去事百二十里と有は六町一里の里数を以相考ふれは此一ノ関は古の蝦夷国界にて関所有…
本文の表記 一ノ関
仙台領の地名。著者は古代の関所・国界との関係を推測する。
本文に基づく説明
地名の由来言語: 日本語
言語判定は暫定
本文の呼称からの暫定分類。語源・現代の地名との対応は要照合。
…血脈を引家系を乱さゝるもの故百代の後といへとも違ふ事なし仙台領に一ノ関といふ所あり是古の関所有ける所なるへし多賀の城壺の碑に蝦夷国界を去事百二十里と有は六町一里の里数…
…の碑に蝦夷国界を去事百二十里と有は六町一里の里数を以相考ふれは此一ノ関は古の蝦夷国界にて関所有けるなるへし京を去事千五百里常陸の国境を去事四百十二里下野国境を去事二百…
本文の表記 常陸
多賀の城の碑の里程を論じる箇所に現れる国名。
本文に基づく説明
地名の由来言語: 日本語
言語判定は暫定
本文の呼称からの暫定分類。語源・現代の地名との対応は要照合。
…れは此一ノ関は古の蝦夷国界にて関所有けるなるへし京を去事千五百里常陸の国境を去事四百十二里下野国境を去事二百七十四里是等里数漸合へり上代の海道しば〳〵変し千歳の後違…
本文の表記 下野
多賀の城の碑の里程を論じる箇所に現れる国名。
本文に基づく説明
地名の由来言語: 日本語
言語判定は暫定
本文の呼称からの暫定分類。語源・現代の地名との対応は要照合。
…にて関所有けるなるへし京を去事千五百里常陸の国境を去事四百十二里下野国境を去事二百七十四里是等里数漸合へり上代の海道しば〳〵変し千歳の後違有といへとも大概違ふ事なし…
本文の表記 靺鞨国
碑の里程に現れる国名。著者はカラフトと推定するが、その同定は採用を保留。
比定・解釈未確定
地名の由来言語: 未詳
言語判定は暫定
名称の言語的由来は未確認。
…合へり上代の海道しば〳〵変し千歳の後違有といへとも大概違ふ事なし靺鞨国を去事三千里とあるはカラフトの事なるへし里数又合り今に仙台領は六町を以一里として三十六町を以て一…
本文の表記 森岡
開墾・府城の発展について弘前と並べる都市名。
本文に基づく説明
地名の由来言語: 日本語
言語判定は暫定
本文の呼称からの暫定分類。語源・現代の地名との対応は要照合。
…仙台領は六町を以一里として三十六町を以て一里とせす古の蝦夷地今は森岡弘前のことく大国の府城となれり山間まて開墾して五穀豊饒に海辺は潮を漁猟をし山よりは材を出し商船の…
本文の表記 松前内記
城下の家臣屋敷の図示で家老として挙がる人物。諱の同定は未詳。
比定・解釈未確定
…て櫓二ッあり大手の両辺家臣の第宅#2也 家老 同 同 松前内記下国斎宮蠣崎内蔵丞 寺社奉行 勘定奉行 両人三人城下三ヶ所に高札あり一従諸国松前渡海之輩対…
本文の表記 下国斎宮
城下の家臣屋敷の図示で家老として挙がる人物。諱の同定は未詳。
比定・解釈未確定
…あり大手の両辺家臣の第宅#2也 家老 同 同 松前内記下国斎宮蠣崎内蔵丞 寺社奉行 勘定奉行 両人三人城下三ヶ所に高札あり一従諸国松前渡海之輩対夷人直に…
本文の表記 蠣崎内蔵丞
城下の家臣屋敷の図示で家老として挙がる人物。諱の同定は未詳。
比定・解釈未確定
…の両辺家臣の第宅#2也 家老 同 同 松前内記下国斎宮蠣崎内蔵丞 寺社奉行 勘定奉行 両人三人城下三ヶ所に高札あり一従諸国松前渡海之輩対夷人直に売買堅停止…
本文の表記 志摩守 · 松前志摩守
朱印状と三河後風土記の引用に出る官途名。各時点の人物同定は史料確認が必要。
本文に基づく説明
…年四月五日御朱印御代々御朱印之写定一従諸国松前へ出入之者共不相断志摩守夷人と直売買仕義可為曲事事一志摩守無断而令渡海売買仕候者急度言上致致事附夷人之義は何方へ往来候共…
…一従諸国松前へ出入之者共不相断志摩守夷人と直売買仕義可為曲事事一志摩守無断而令渡海売買仕候者急度言上致致事附夷人之義は何方へ往来候共可為夷人次第事一対夷人非分申掛者堅…
…実一揆の時神君の御陣に従ふ国士には南部大膳太夫信直津軽越中守信牧松前志摩守と云々志摩守は毒箭を射させんため夷人少々召連来る其体尤も異形なり身の毛大に長して頗る牛に異ならす…
…御陣に従ふ国士には南部大膳太夫信直津軽越中守信牧松前志摩守と云々志摩守は毒箭を射させんため夷人少々召連来る其体尤も異形なり身の毛大に長して頗る牛に異ならす半弓を頭に当…
本文の表記 飛騨屋久兵衛
蝦夷地の松山を請け負い江戸・大坂へ材木を送る山師として記される。
本文に基づく説明
…て一種あり桧に類す此材ある山は所々にあり是又他国になき材なり江戸飛騨屋久兵衛といふ山師蝦夷地松山を請合今最中伐出し江戸大坂へ積廻し今桧の代りに是を用ゆ江戸にて献上台障子曲ヶ…
本文の表記 山田久右衛門 · 久右衛門
ソウヤでサンタンの人々と会い、文字のある巻物を受け取ったと記す船頭。
本文に基づく説明
…よし米酒たはこもある故交易物は鉄類を望む鍋釜出刃の類を渡すとなり山田久右衛門といふ船頭ソウヤ 江 行けるに折節サンタンの者共来り合て物語等セり此久右衛門は両年蝦夷へ渡東西…
…船頭ソウヤ 江 行けるに折節サンタンの者共来り合て物語等セり此久右衛門は両年蝦夷へ渡東西海共に夷地功者成ゆへに言語も通しサンタンの者ともと咄合て此者とも其称美し巻物を…
本文の表記 憲廟 · 常憲院様
本文が将軍の治世を指す際に用いる院号・廟号。
本文に基づく説明
…といふ事さたかならされとも余り遠きやうにも覚へす其故は三十年以前憲廟の御代朝鮮の官人リセンタツといふもの此ハホロ 江 小舟にて漂着セり下官壱人商人壱人召連たり松前…
…めす増て蝦夷地〳〵懸てハ数年を歴るにあらすハ吟味をかたかるへし一常憲院様御治世の初め松前御領主へ御尋有て蝦夷の地理図指上られ狩野祐甫に命せられ写とりて上りたるといへり又…
…も有けるよし中頃幼主有て参覲怠りけるより格式変異して再改る事なく憲廟の時より今の格に改りたるよし以前の格終かに残りたるは嫡子乗輿鷹献上の時伝馬のみ也と聞り一国に五穀…
本文の表記 リセンタツ
ハホロに漂着し、江戸で吟味の後に対馬経由で帰国したと記す朝鮮の官人。
本文に基づく説明
…れとも余り遠きやうにも覚へす其故は三十年以前憲廟の御代朝鮮の官人リセンタツといふもの此ハホロ 江 小舟にて漂着セり下官壱人商人壱人召連たり松前より江戸へ御注進有て江戸へ…
本文の表記 辻文左衛門
アツケシから材木を出したと記す南部の商人。
本文に基づく説明
…フより二十里手前にアツケシといふ所あり大材を出す八年以前南部商人辻文左衛門といふ者始てアツケシの山入して材を出セりみな帆柱に用ゆへし此時アツケシより直に江戸へ乗付鉄砲洲の…
本文の表記 筑前屋作右衛門
東海廻りの御城米輸送を勤めたと本文が記す人物。
本文に基づく説明
…しらすに成たる事年々かきりなき事なり御当世東海廻りの御城米被仰付筑前屋作右衛門といふもの相勤今に至て酒田御廻米之内数十艘東海を廻りて江戸着する也是又度々破船ある事にて数十艘無…
本文の表記 シヤクシヤヰン
松前に対する蜂起の記事に現れる人物。本文には表記の異同がある。
本文に基づく説明
…る故其後再興する者もなしいまとても以前のことくにセは夥しく屈事也シヤクシヤヰンはシヒシヤリといふ所の蝦夷人にて制強者成故東西手近き蝦夷人ともを手下につけ松前へ敵セしなり仕置延…
…社ありて今にたへす祭り此所の蝦夷はいふに不及余村の蝦夷も崇敬するシヤクシヤヰンの時出たるヲニヒシも則クルの蝦夷なりといへり此事尋けるに松前中にあへて知ものなしヲニヒシか村はサ…
本文の表記 狩野祐甫
将軍の命で蝦夷地の地理図を写したと本文が記す人物。
本文に基づく説明
…し一常憲院様御治世の初め松前御領主へ御尋有て蝦夷の地理図指上られ狩野祐甫に命せられ写とりて上りたるといへり又黄門光国卿蝦夷地の国廻御糾の為大舟を仕立て松前へ遣され蝦夷へ…
本文の表記 黄門光國卿
蝦夷地調査の船を派遣したと記される人物。徳川光圀を指す表記。
本文に基づく説明
…蝦夷の地理図指上られ狩野祐甫に命せられ写とりて上りたるといへり又黄門光国卿蝦夷地の国廻御糾の為大舟を仕立て松前へ遣され蝦夷へ乗廻しけるに順風まれにして日数懸り西蝦夷地マシ…
本文の表記 四郎三郎
外ヶ浜ウテツの人々の酋長として記される。著者が訪ね、娘二人の演奏でもてなされたとする。
本文に基づく説明
…る事をのそます系図を糾して其差別をするなり外ヶ浜ウテツといふ所に四郎三郎といふ蝦夷人ハ巨擘者にて智謀本邦の人におとらす外ヶ浜の蝦夷人の酋長なる故に弘前大守へも目見をする…
本文の表記 シラノコ
シラヲイから来て著者の旅宿で酒を飲んだ二人のうちの一人として読む。人名の切分けは暫定。
比定・解釈未確定
…に来れり是は東蝦夷松前より百二三十里シラヲイといふ所の蝦夷也名はシラノコヲシムカといへり名を尋事其者に尋てハ答へさる法なり是か名は彼に聞彼か名は是に聞事なり此二人は御身…
本文の表記 ヲシムカ
シラヲイから来て著者の旅宿で酒を飲んだ二人のうちの一人として読む。人名の切分けは暫定。
比定・解釈未確定
…是は東蝦夷松前より百二三十里シラヲイといふ所の蝦夷也名はシラノコヲシムカといへり名を尋事其者に尋てハ答へさる法なり是か名は彼に聞彼か名は是に聞事なり此二人は御身方蝦夷と…
本文の表記 義経
本文が検討する伝承の人物。歴史上の人物の行動として伝承内容を確定するものではない。
本文に基づく説明
…ては天見へさる故座右の柱へ酒をそゝくなり是天を祀るこゝろなるへし義経を崇敬するといふ事本邦にて云伝れとも定かに然とも見へす上瑠理の内に義経の事あり義経幼年の時小船に…
…崇敬するといふ事本邦にて云伝れとも定かに然とも見へす上瑠理の内に義経の事あり義経幼年の時小船に乗て蝦夷へ来り八面大王の娘と通し大王ある時狩に出るひまをうかゝひ秘蔵セ…
…ふ事本邦にて云伝れとも定かに然とも見へす上瑠理の内に義経の事あり義経幼年の時小船に乗て蝦夷へ来り八面大王の娘と通し大王ある時狩に出るひまをうかゝひ秘蔵セし虎の巻物を…
…されたりといふ事を作りたりといへり又或筆記に東蝦夷クルといふ所に義経の社ありて今にたへす祭り此所の蝦夷はいふに不及余村の蝦夷も崇敬するシヤクシヤヰンの時出たるヲニヒ…
…なり山中に岩屈ありていにしへ仙人住けるあとゝ云伝ける事ハあれとも義経の社とてはなしといへりクルはサルの聞違なるへし西蝦夷地六条の間といふ所に弁慶崎といふ所あり義経此…
…はサルの聞違なるへし西蝦夷地六条の間といふ所に弁慶崎といふ所あり義経此所より北高麗へ渡り給ふともいへり是も又定かならす東蝦夷地に鍬先といふものありけるを義経の甲の鍬…
…給ふともいへり是も又定かならす東蝦夷地に鍬先といふものありけるを義経の甲の鍬形なりとて宝物とし崇敬セし蝦夷人有けるよし義経の甲といふ所の語とすへき事もなく只いひなら…
…ありけるを義経の甲の鍬形なりとて宝物とし崇敬セし蝦夷人有けるよし義経の甲といふ所の語とすへき事もなく只いひならわセし事と聞ゆいにしへ奥羽戦争の時は落人とも多く蝦夷へ…
…らす以前カラフトより渡りたるなるへし此鍬先甲の鍬形のことくなる故義経の鍬形といひ伝へたるなり夷人の宝物にて神物のことく崇敬セり蝦夷中多くあるものにもあらすまれに所持…
…蝦夷中多くあるものにもあらすまれに所持セる夷は秘して深くかくセり義経の事を夷言にウキクルミといへり是は上瑠理にありけるものと聞ゆ此浄るりの根元いかゝして作り初けるに…
本文の表記 八面大王 · 大王
義経の渡来を語る伝承中の人物。史実としての同定はしていない。
本文に基づく説明
…も見へす上瑠理の内に義経の事あり義経幼年の時小船に乗て蝦夷へ来り八面大王の娘と通し大王ある時狩に出るひまをうかゝひ秘蔵セし虎の巻物を盗みとり又小船に乗て本国へ逃かへれり…
…に義経の事あり義経幼年の時小船に乗て蝦夷へ来り八面大王の娘と通し大王ある時狩に出るひまをうかゝひ秘蔵セし虎の巻物を盗みとり又小船に乗て本国へ逃かへれり大王狩より帰り…
…をうかゝひ秘蔵セし虎の巻物を盗みとり又小船に乗て本国へ逃かへれり大王狩より帰りて追欠しかとも津軽地にて暴風に合吹返されたりといふ事を作りたりといへり又或筆記に東蝦夷…