『蝦夷島奇観』が箱館の西五里と注す村。現在の北斗市当別方面に対応し、氏神の傍から古い像が掘り出された記事の所在地。石狩地方の当別町とは別。
名称の言語的由来は未確認。
用例(1件)
- 北海道大学附属図書館 · 37コマ・1行 · 当別村
…さるに似たり女子畑を耕して粟蕎麦大豆なと播植して食糧す寛政十年春当別村 在筥館 西五里 氏神の傍より桶二十二躯堀出す往古の器と見ゆモンベツ 地 名 夷トリアシ云此神体…
えぞしま きかん · Ezoshima kikan · 秦檍丸 · 地誌 · 地名 · 集字 · 目録レコード
この資料に現れる固有名・語句と、各写本の出現箇所。
『蝦夷島奇観』が箱館の西五里と注す村。現在の北斗市当別方面に対応し、氏神の傍から古い像が掘り出された記事の所在地。石狩地方の当別町とは別。
名称の言語的由来は未確認。
…さるに似たり女子畑を耕して粟蕎麦大豆なと播植して食糧す寛政十年春当別村 在筥館 西五里 氏神の傍より桶二十二躯堀出す往古の器と見ゆモンベツ 地 名 夷トリアシ云此神体…
『蝦夷島奇観』でトリアシという人の所在地として注された名称。古い像の形についての説明を伝える人物の出身地で、オホーツク海岸の紋別と日高の門別などの同音地名のどれに当たるかはこの記述だけでは決めない。
名称の言語的由来は未確認。
…別村 在筥館 西五里 氏神の傍より桶二十二躯堀出す往古の器と見ゆモンベツ 地 名 夷トリアシ云此神体は裘を着したる形なりフシコヽタン 地 名 の丘よりも堀出せし事もあり…
『蝦夷島奇観』で古い像が掘り出された丘の所在地。アイヌ語の「古い集落」に関わる地名と考えられるが、同種の名は各地にあるため特定の現代集落に直結させない。
名称の言語的由来は未確認。
…器と見ゆモンベツ 地 名 夷トリアシ云此神体は裘を着したる形なりフシコヽタン 地 名 の丘よりも堀出せし事もあり形すこし異といへとも髪衣服類の文理かくのことし按するに女像な…
鵡川(むかわ)方面の地名。『蝦夷島奇観』ではホインカルという人の所在地として記され、神髪と呼ばれる髪形の説明を伝える人の出身地域となる。
名称の言語的由来は未確認。
…を生すれは生長の後髪を切らず三組にして垂置ぬ名をカモイオドビと云ムカワ 地 名 夷ホインカル 夷 地 クンスイ 地 名 夷ペヾレケシ 夷 地 神髪なり此外処々にあり按…
…天皇厚賞野見宿祢之功亦賜鍜地即任土部職因改本性謂土部連等之始祖也ムカワ 地 名 ホインカル肖像クンネチロノツプ(━━━━)図シコタン島に産する狐なり毛色淡黒なり続日本…
『蝦夷島奇観』でペヾレケシという人の所在地として注される地名。髪を切らず三つ編みにする神髪の例を記した箇所に現れる。現在の集落への比定は未確定。
名称の言語的由来は未確認。
…垂置ぬ名をカモイオドビと云ムカワ 地 名 夷ホインカル 夷 地 クンスイ 地 名 夷ペヾレケシ 夷 地 神髪なり此外処々にあり按るに是大古の断裁の器無き時は乱垂となるを…
多来加(たらいか)方面に対応する樺太東岸の地名。『蝦夷島奇観』は宗谷の首長ヲタトモンクルの話として、シラヌシから遠方にある土地と説明する。『蝦夷島奇観』の方位・距離をそのまま現代地図へ写さない。
名称の言語的由来は未確認。
…靼服を着したり唐人と云しより島名となりたるかシラヌシより西百里にタラヰカと云所あり是此島の名なるよしソウヤ首長ヲタトモンクルかたれり一風俗も蝦夷とは少し異り服も蕁麻糸に…
本文の表記 イコンランゲ
『蝦夷島奇観』の山丹人や墓の図に付された樺太の集落名。「ホロコタン」は大きな集落に関わる名称と考えられるが、図の題から島内の位置までは特定できない。
名称の言語的由来は未確認。
…に交合の気を発せす熊牙取図使犬引舟図山靼人唐太 ホロコタン 一名イコンランゲ 唐人島首長墓カラフト女夷墓附言居なから異域のを知ることこれ歌人の性にはあらねと此書を買するに甚…
『蝦夷島奇観』で樺太やその周辺の人々・墓を説明する際に使われる呼称。『蝦夷島奇観』は服装や唐人という呼び方との関係を推測している。現代の正式な島名として扱わず、著者の呼称を保存する。
名称の言語的由来は未確認。
…せす熊牙取図使犬引舟図山靼人唐太 ホロコタン 一名イコンランゲ 唐人島首長墓カラフト女夷墓附言居なから異域のを知ることこれ歌人の性にはあらねと此書を買するに甚面白くさ…
『日本書紀』の垂仁天皇紀から引かれる埋葬地の名。倭彦命が葬られ、近習者の殉葬が語られる場所。『蝦夷島奇観』では蝦夷の葬送と古代日本の習俗を比較するための引用である。
名称の言語的由来は未確認。
…十八年冬十月丙寅朔庚午天皇母弟倭彦命薨十一月丙申朔丁酉葬倭彦命于身狭桃花鳥坂於是集近習者悉生而埋立於陵城数日不死昼夜泣吟遂死而爛臰之犬烏聚噉焉天皇聞此泣吟之声心有悲傷詔羣卿…
出雲(いずも)は現在の島根県東部にあたる旧国。『蝦夷島奇観』では古代の人名・伝承を説明する引用に現れる。
名称の言語的由来は未確認。
…君王陵墓埋立生人是不 也豈得伝後葉乎願今将議使事而奏之則使者喚上出雲国之土部壱伯人自領土部等取埴以造作人馬及種種物形献于天皇曰自今以後以是土物交易生人樹於陵墓為後葉之…
伊賀(いが)は現在の三重県西部の旧国。『蝦夷島奇観』の古代・近世の日本側の地理を示す名称。
名称の言語的由来は未確認。
…━)図シコタン島に産する狐なり毛色淡黒なり続日本記曰和銅五年七月伊賀国国司阿直敬等所献黒狐即合上瑞国司自已上追位階クナシリ西地クサリチと云所に柱石あり其内に夷鎧の形を…
本文の表記 ウルツプ嶼 · ラツコ
得撫島(うるっぷとう)。択捉島の北東にある千島列島の島。『蝦夷島奇観』は別名をラツコとし、最上徳内の渡航と近隣の人々のラッコ猟を記す。
魚名 urup(ベニマス)と関わると考えられる島名。『蝦夷草紙』にも魚にちなむ由来の説明がある。
…を編て服とし鳥獣の皮を裘となして寒を凌く冬は氷海となりて寒気甚しウルツプ嶼 一曰 ラツコ ヱトロフ島より東北二十里にあり往年最上常矩始て此島に渡り地図を製ヱトロフ島クナシ…
…皮を裘となして寒を凌く冬は氷海となりて寒気甚しウルツプ嶼 一曰 ラツコ ヱトロフ島より東北二十里にあり往年最上常矩始て此島に渡り地図を製ヱトロフ島クナシリキイタフ島の…
ラッコを指すアイヌ語 rakko に由来する呼称。日本語にも借用された語。
『蝦夷島奇観』の絵について述べ、山路を詠む句の後に「謹書」と署名する人物。ここでは序跋の署名で、画中の人物とは別。
…拙画の永きに諸君子の眺めをははかり侍りて花たうて登り飽たる山路哉雄陵謹書女児衣服文造カナネチミツプアヤンノカル図女夷七八歳の頃より砂地に出て衣服の文繍をも習ふ凡女児…
『蝦夷島奇観』が天から降ったとする神。甲冑を神聖な宝物として安置する説明に続いて、その降臨を歌い伝えると記す。『蝦夷島奇観』の神名の音写であり、語の分解や現代綴りは確定していない。
…る是蝦夷第一品の神器とす古昔甲革の器なるべし呼造曲中にも造鳥神(コルモシリカモイ)天より降給ふ事をうたひ伝ふ家にありては不浄の事もあらんとて浄地を択み一宇を建て安置す亦山林幽谷…
カヤベ浦・湯の崎の丘から出土した甲冑の部材を所蔵する首長。『蝦夷島奇観』は革が朽ち、鋲が残ったと述べ、その所蔵者として名を挙げる。
…歳四月カヤべ浦湯の崎の丘より数枚堀出せり革鋏は朽て鋲のみ存し首長ヲテレキ蔵すイナホとは幣帛の心にて神に奉る夷地には布帛紙なき故に木を削りかけにして幣にかゆる本邦の大古も…
北夷地トウベツの首長。甲冑十余を所蔵し、その中に古風で美しい緋縅と見える鎧があったと『蝦夷島奇観』に記される。
…は礼法もあるよし軍をトミと云挑の訓略なるべし一北夷地トウベツ首長シリメキシユ甲冑拾余を蔵す其中に異鎧壱領あり閲するに緋縅と見ゆ其製古様殆類ひなき美製次年画人春田静甫正応五年…
『蝦夷島奇観』が「画人」と呼ぶ人物。トウベツの鎧との比較に際し、正応五年の写しとする打掛鎧の図を著者に示したと記す。
…中に異鎧壱領あり閲するに緋縅と見ゆ其製古様殆類ひなき美製次年画人春田静甫正応五年の写今様打掛鎧の図を見せて云是延喜兵庫寮の記に所載打かけ鎧の図なり今は絶てなしとなん右の…
神功皇后(じんぐうこうごう)を指す古典の名称。息長足姫・息長帯比売などの表記がある。『蝦夷島奇観』では古代の史書・伝承から引用される人物で、その記事を近世の実見記録と混同しない。
…の首長たる者何れも営造すチヤシの名を按るにサシの訛語成へし日本記息長足姫天皇条下云新羅草羅城とあり其外にも疏留城(サシ)避城(サシ)何をも新羅守麗の城(サシ)をサシといふ又…
コーラツフの首長として名が記される人物。周辺の記述では、神が海で大きな比目魚を釣り、山に祭ったという土地の伝承が紹介される。
…城の訓とはなりたるならんヲシヤマンベ地図コーラツフ 地 名 首長ヤシマと云むかし神在て此所の海に釣し大なる比目魚得給ひ夷等に教曰此魚は神也我是を山に祭ん此後此山のみ比…
『続日本紀』霊亀元年(715)十月の記事から引用される陸奥の蝦夷の人物。親族を失い、襲撃を恐れる事情から、香阿村に郡家を設けて編戸民となることを求めたと記す。
…り八月十五日まて採れり続日本記曰霊亀元年十月十五日陸奥蝦夷第三等邑良志別君宇蘇弥菜等言親族死亡孫_レネ数人常恐被狄徒抄略乎請於香阿村造建郡家為編戸民永保安堵又蝦夷須賀君古麻比留等…
『続日本紀』霊亀元年(715)の記事で、昆布を貢納してきた集団の代表として引用される人物。国府までの往復の負担を訴え、閇村に行政拠点を置くよう求めたとされる。
…レネ数人常恐被狄徒抄略乎請於香阿村造建郡家為編戸民永保安堵又蝦夷須賀君古麻比留等言先祖以来貢献昆布常扶此地年時不闕今国府郭下相去道遠後還累旬志多辛苦請於閇村使建部家同於百姓共…
「権僧正公朝」として鷲の羽を詠んだ歌の作者に挙げられる僧。『蝦夷島奇観』は鷲の捕獲法を説明する箇所にこの歌を引き、陸奥・蝦夷・千島への文学的連想を示す。
…鷲の趾をかけ獲る事也至てひそかに忍ひ居ざれはうることかたし権僧正公朝みちのくのえぞかちしまの鷲の羽に妙なるのりの文字もありけりアマクワ図山林曠野の中に弩のことくなる…
『袖中抄』に関係する歌の注釈者として名が現れる。『蝦夷島奇観』は蝦夷の毒矢について、鳥の羽軸に附子の毒を塗って鎧の隙間を射るという説明を引用する。人名表記は引用箇所のもの。
…中抄曰あさましや千島のゑそのつくるなる毒気の矢こそひまはあるけれ顕眼云毒気の矢とはおくのえひすは鳥の羽根のくきに附子といふどくをぬりて甲のあきまをはかりてゐるといへ…
李時珍(りじちん、1518–1593)。明代中国の本草学者で『本草綱目』の著者。『蝦夷島奇観』では植物・動物・薬物についての記述を比較する典拠として名が挙がる。
…毛二穴三茎収之器中年々湿潤如新或置睡天頭上其天忽驚跳若狂者為真也時珍曰按唐書云骨𧰹獣出遼西営州及結骨国一統志云膃肭臍出女直及三仏斉国獣似狐脚高如矢走如飛取其腎清油名…
…海狗腎鹹大熱無毒斆曰用酒浸一日紙裹炙香剉搗或於銀器中以酒肉熟合薬時珍曰以 椒樟脳同収則不懐治男子 病気塊積冷労気腎精衰損多色成労瘦粋イケマ図蔓草なり蘿摩の同類別種花…
郭璞(かくはく、276–324)は中国晋代の学者。『爾雅』『山海経』などの注釈で知られ、『蝦夷島奇観』では古い動植物名や異域の記事の説明に関わる引用者として登場する。
…外腎而曰臍者連臍取之也又異物志豽獣出朝鮮似貍蒼黒色無前両足能捕鼠郭璞曰晋時召㖫扶夷県獲一獣似狗豿文有角両脚拠此則豽有水陸二種而蔵器所謂似狐長尾者其此類与蝦夷島ヲシヤ…
陳蔵器(ちんぞうき、7~8世紀)は唐代の本草学者。『本草拾遺』の著者として知られ、『蝦夷島奇観』では北方の動植物などを本草文献と照合する際に名が挙がる。
…鼠郭璞曰晋時召㖫扶夷県獲一獣似狗豿文有角両脚拠此則豽有水陸二種而蔵器所謂似狐長尾者其此類与蝦夷島ヲシヤマンヘノ蒼海に膃肭獣を出せり冬十月より春三月四月比まて夷に命し…
『東鑑』からの引用で仏師として挙げられる人物。仏像制作の報酬に水豹の皮六十枚が贈られたという記事を、海獣の皮の利用を示す例として引く。『蝦夷島奇観』の「雲慶」の表記を保持する。
…全身に大水字の文理あり何れも有西夷地テシホ海辺に産せり東鑑曰仏師雲慶仏工料におくる七間々中径水豹皮六十枚とあり一トヽと云海獣あり大さ丈にあまる色頭如鼠をよし皮を綱に…
モンベツのアイヌの人物。出土した神像を裘(毛皮の衣)を着た姿と説明する証言者として『蝦夷島奇観』に登場する。この記述だけではモンベツの現代地への比定はできない。
… 氏神の傍より桶二十二躯堀出す往古の器と見ゆモンベツ 地 名 夷トリアシ云此神体は裘を着したる形なりフシコヽタン 地 名 の丘よりも堀出せし事もあり形すこし異といへとも…
ムカワのアイヌの人物。髪を三つ編みに垂らす「カモイオドビ」の例に挙げられ、別の箇所には肖像の見出しもある。『蝦夷島奇観』では人物名と髪形の名称が並ぶ。
…髪を切らず三組にして垂置ぬ名をカモイオドビと云ムカワ 地 名 夷ホインカル 夷 地 クンスイ 地 名 夷ペヾレケシ 夷 地 神髪なり此外処々にあり按るに是大古の断裁の器無…
…之功亦賜鍜地即任土部職因改本性謂土部連等之始祖也ムカワ 地 名 ホインカル肖像クンネチロノツプ(━━━━)図シコタン島に産する狐なり毛色淡黒なり続日本記曰和銅五年七月伊賀…
クンスイのアイヌの人物。髪を切らず三つ編みにして垂らす「カモイオドビ」の具体例として、ムカワのホインカルと並べて紹介される。
…ビと云ムカワ 地 名 夷ホインカル 夷 地 クンスイ 地 名 夷ペヾレケシ 夷 地 神髪なり此外処々にあり按るに是大古の断裁の器無き時は乱垂となるをいとひ三組とせしなるべ…
垂仁天皇(すいにんてんのう)。『日本書紀』などの古代王統・伝承に登場する天皇。『蝦夷島奇観』では殉葬と埴輪に関する古典の記事を引く際に名が現れる。
…る為なりと云此土偶は蓋し初の婦妾の代りに墳墓に埋しならん日本記曰垂仁帝二十八年冬十月丙寅朔庚午天皇母弟倭彦命薨十一月丙申朔丁酉葬倭彦命于身狭桃花鳥坂於是集近習者悉生而…
『日本書紀』垂仁天皇紀に見える皇族。『蝦夷島奇観』は葬送習俗を論じるため、その埋葬時に近習者を生き埋めにしたとする記事を引用する。引用された古代の伝承上の人物である。
…に墳墓に埋しならん日本記曰垂仁帝二十八年冬十月丙寅朔庚午天皇母弟倭彦命薨十一月丙申朔丁酉葬倭彦命于身狭桃花鳥坂於是集近習者悉生而埋立於陵城数日不死昼夜泣吟遂死而爛臰之…
…垂仁帝二十八年冬十月丙寅朔庚午天皇母弟倭彦命薨十一月丙申朔丁酉葬倭彦命于身狭桃花鳥坂於是集近習者悉生而埋立於陵城数日不死昼夜泣吟遂死而爛臰之犬烏聚噉焉天皇聞此泣吟之声…
日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)。記紀に垂仁天皇の皇后として記される人物。『蝦夷島奇観』の葬送・埴輪の説明に関わる古代の伝承の中に現れる。
…矣其雖古風之非良何従自今以後議之止殉同卅二年秋七月甲戌朔己卯皇后日葉酢媛命 一曰日葉 酢根尊 薨臨葬有日焉天皇詔群卿曰従死之道前知不可命此行之葬奈之為何於是野見宿祢進曰夫…
…葉之法則天皇於是大喜之詔野見宿祢曰汝之使議寔洽朕心則其土物始立于日葉酢媛命之墓仍号是土物語垣輪亦名立物也仍下令曰自今以後陵墓必樹是土物無傷人焉天皇厚賞野見宿祢之功亦賜鍜地…
野見宿禰(のみのすくね)。相撲や埴輪の起源に関わる記紀の伝承的人物。『蝦夷島奇観』では葬送習俗の比較のために引かれる古典の記事に登場する。
… 薨臨葬有日焉天皇詔群卿曰従死之道前知不可命此行之葬奈之為何於是野見宿祢進曰夫君王陵墓埋立生人是不 也豈得伝後葉乎願今将議使事而奏之則使者喚上出雲国之土部壱伯人自領土部…
…皇曰自今以後以是土物交易生人樹於陵墓為後葉之法則天皇於是大喜之詔野見宿祢曰汝之使議寔洽朕心則其土物始立于日葉酢媛命之墓仍号是土物語垣輪亦名立物也仍下令曰自今以後陵墓必樹…
…物語垣輪亦名立物也仍下令曰自今以後陵墓必樹是土物無傷人焉天皇厚賞野見宿祢之功亦賜鍜地即任土部職因改本性謂土部連等之始祖也ムカワ 地 名 ホインカル肖像クンネチロノツプ(…
『続日本紀』からの引用で伊賀国司として挙げられる人物。黒狐の献上を瑞祥と認めた記事に現れる。『蝦夷島奇観』の字形に基づく表記であり、百済から渡来した阿直岐と同人とする根拠はない。
…タン島に産する狐なり毛色淡黒なり続日本記曰和銅五年七月伊賀国国司阿直敬等所献黒狐即合上瑞国司自已上追位階クナシリ西地クサリチと云所に柱石あり其内に夷鎧の形をなしたるあ…
源義経(みなもとのよしつね、1159–1189)。源平合戦で知られる武将。『蝦夷島奇観』の蝦夷地での足跡や遺物は義経北行伝説に属する記述であり、同地への実際の渡航を証明するものではない。
…リ西地クサリチと云所に柱石あり其内に夷鎧の形をなしたるあり伝へ云判官義経ぬぎ置給ひし鎧化して石となると甚奇異本邦のなき処なりヱトロフ島は松前市より東北三百余里に在松前侯…
最上徳内(もがみとくない、1754–1836)。常矩(つねのり)は名。幕府の蝦夷地調査に参加し、択捉・得撫・樺太などを訪れた『蝦夷草紙』の著者。『蝦夷島奇観』では、択捉へ渡った人物として第三者の渡航記事に現れる。
…より東北三百余里に在松前侯よりも守護の士いたらざりしに天明五年夏最上常矩なる者独立して渡る島夷本邦人をはじめてみるに群集せりといふ風俗太古を存し人質如神草を編て服とし鳥…
…甚しウルツプ嶼 一曰 ラツコ ヱトロフ島より東北二十里にあり往年最上常矩始て此島に渡り地図を製ヱトロフ島クナシリキイタフ島の夷初夏より此島に渡りて猟虎 ラツコの音により…
ウルップ島に妻妾・従僕ら約四十人と住むと『蝦夷島奇観』が記すロシア人。同書には肖像も掲げられる。日本語の音写だけではロシア語の原名を一つに決められない。
…を上にして浮游なり岐岩にも登ると云ウルツプ嶼に何頃よりか魯斉亜人ケネトフシ妻妾従僕四十人はかり住居す其肖像を写于此カラフト島は西夷地サウヤより西廿里にあり島の極を当す者な…
『蝦夷島奇観』で、明和年間に松前家から樺太へ派遣された家臣。島沿いに五十余里を調査したと記す。「某」は名が省略されていることを表し、姓のみが示されている。
…は西夷地サウヤより西廿里にあり島の極を当す者なし明和年間松前家臣和田某を遣して五十有余里を順島せしむ夫よりシラヌシに館を建て鎮護す享和改元年信濃守源忠明奉台令西夷地を…
松平忠明(まつだいらただあき)。江戸後期の幕臣で信濃守を称し、寛政十年(1798)に蝦夷地御用取締掛となった。『蝦夷島奇観』は「源忠明」と記し、享和元年(1801)に中村意積・高橋一宅へ樺太の地理調査を命じたとする。
…有余里を順島せしむ夫よりシラヌシに館を建て鎮護す享和改元年信濃守源忠明奉台令西夷地を回り属吏中村意積高橋一宅に命して南北二百余里の地理を しむ古よりカラフト人山丹人共…
『蝦夷島奇観』で、信濃守源忠明の属吏として高橋一宅とともに樺太の地理調査を命じられた人物。『蝦夷島奇観』は調査範囲を南北二百余里とする。
…ヌシに館を建て鎮護す享和改元年信濃守源忠明奉台令西夷地を回り属吏中村意積高橋一宅に命して南北二百余里の地理を しむ古よりカラフト人山丹人共にソウヤに来り持渡る錦玉煙管の…
享和元年(1801)の樺太調査に関係する役人。『蝦夷島奇観』では中村意積と並べて、信濃守源忠明から地理の調査を命じられたと記される。
…を建て鎮護す享和改元年信濃守源忠明奉台令西夷地を回り属吏中村意積高橋一宅に命して南北二百余里の地理を しむ古よりカラフト人山丹人共にソウヤに来り持渡る錦玉煙管の種々獺狐…
『蝦夷島奇観』の著者が所蔵した錦に織り込まれていた文字。蘇州で製作され韃靼へ渡った錦を説明する箇所に現れる。人名を含む銘文と考えられるが、文字列全体が一人の姓名であるとは確定できない。
…漢文字を記したるもあり錦は唐山蘇州にて製せるを韃靼に渡来す蘇州の織臣相瑞と織入しを予蔵せり初め此島の夷山丹夷と共にソウヤに来り韃靼服を着したり唐人と云しより島名となりた…
宗谷の首長。樺太のシラヌシから西百里にタライカがあり、それが島の名でもあるという説明を語った人物として『蝦夷島奇観』に挙げられる。
…ラヌシより西百里にタラヰカと云所あり是此島の名なるよしソウヤ首長ヲタトモンクルかたれり一風俗も蝦夷とは少し異り服も蕁麻糸にて織り文鋪如図冬春は穴居し土隅埴物を製し用ゆまた家々…
『蝦夷島奇観』の書写に関わる跋で、序文を依頼された人物として言及される呼称。嘉永の丑年の日付がある。号を含むと読めるが、この記録から実名は確定していない。
…??下の秘せる所なるを乞得て写し得ること形のことく冊なりて亦序を方隠先生にねたりてもつて願素の一物とはなしむる時に嘉永の丑とし弥生中旬双松亭主人蔵 ヘロキコイキ ニシ…
『蝦夷島奇観』末尾の書写に関わる跋の署名者。嘉永の丑年に本を書き写し、方隠先生に序を求めたと記す。署名は「雙松亭主人蔵」とあり、所蔵者の号として用いられる。
…生にねたりてもつて願素の一物とはなしむる時に嘉永の丑とし弥生中旬双松亭主人蔵 ヘロキコイキ ニシントリ ホニ カスノコ …
『袖中抄』(しゅうちゅうしょう)は平安末期の歌学書で、顕昭が歌語を集めて解釈した書物。『蝦夷島奇観』は蝦夷の毒矢などに関する古歌・語釈の典拠として引用する。
…ニ鹿角ヲ以製カンシ桜皮(カリンバ)ニテ巻タリ靭を婦人の宝器と称す袖中抄曰あさましや千島のゑそのつくるなる毒気の矢こそひまはあるけれ顕眼云毒気の矢とはおくのえひすは鳥の…
『日本書紀』(にほんしょき)を指す書名表記。720年成立の勅撰史書で、神代から持統天皇までを記す。『蝦夷島奇観』の古代の蝦夷・葬送・人物についての説明の典拠となる。
…か其所の首長たる者何れも営造すチヤシの名を按るにサシの訛語成へし日本記息長足姫天皇条下云新羅草羅城とあり其外にも疏留城(サシ)避城(サシ)何をも新羅守麗の城(サシ)を…
…いましむる為なりと云此土偶は蓋し初の婦妾の代りに墳墓に埋しならん日本記曰垂仁帝二十八年冬十月丙寅朔庚午天皇母弟倭彦命薨十一月丙申朔丁酉葬倭彦命于身狭桃花鳥坂於是集近習…
『続日本紀』(しょくにほんぎ)を指す『蝦夷島奇観』の表記。797年に完成し、697~791年の歴史を編年で記す。『蝦夷島奇観』は古代の蝦夷や移住・編戸に関する記事を引いている。
…とし農事を知らさるに似たり昆布は六月土用より八月十五日まて採れり続日本記曰霊亀元年十月十五日陸奥蝦夷第三等邑良志別君宇蘇弥菜等言親族死亡孫_レネ数人常恐被狄徒抄略乎請於…
…ンネチロノツプ(━━━━)図シコタン島に産する狐なり毛色淡黒なり続日本記曰和銅五年七月伊賀国国司阿直敬等所献黒狐即合上瑞国司自已上追位階クナシリ西地クサリチと云所に柱石…
唐代中国の正史の書名。『旧唐書』と『新唐書』があり、単に「唐書」と記された場合は引用文の照合が必要。『蝦夷島奇観』では北方の国々・民族などの古い記述の典拠として用いる。
…茎収之器中年々湿潤如新或置睡天頭上其天忽驚跳若狂者為真也時珍曰按唐書云骨𧰹獣出遼西営州及結骨国一統志云膃肭臍出女直及三仏斉国獣似狐脚高如矢走如飛取其腎清油名膃肭臍観…