江戸幕府を指す敬称。松前側が鉱山を掘らせないのは幕府への遠慮からだ、とする話に現れる。
用例(1件)
- 北海道大学附属図書館 · 24コマ・13行 · 御公儀
…得は、大分出可申様子必定之由、前々ゟ申伝、功者之者も左様申候得共御公儀様 ̄えの御遠慮にて、御堀せ不被成候由、夫共 ̄ニ所之ものとも少々つゝの稼(カセキ)に沙金は出 ̄シ、…
えとろふ ひょうりゅうき · Etorofu hyōryūki · 紀行 · 地名 · 旅程 · 集字 · 目録レコード
この資料に現れる固有名・語句と、各写本の出現箇所。
江戸幕府を指す敬称。松前側が鉱山を掘らせないのは幕府への遠慮からだ、とする話に現れる。
…得は、大分出可申様子必定之由、前々ゟ申伝、功者之者も左様申候得共御公儀様 ̄えの御遠慮にて、御堀せ不被成候由、夫共 ̄ニ所之ものとも少々つゝの稼(カセキ)に沙金は出 ̄シ、…
高橋浅右衛門の屋敷へ出向き、漂流の事情を尋ねられた日。この箇所に月の記載はない。
…ニ成、かろき奉公なといたし居申候者も有之由、是も宿之もの咄申候一廿三日町奉行之由、高橋浅右衛門所へ、半太夫被召連罷出候へは、台所之様成所にて、岡部四郎右衛門と申仁被召…
本文の表記 山川 · 山川湊
山川(やまがわ)。現在の鹿児島県指宿市山川にある港。琉球との往来や物資輸送の拠点となった。本文では十月廿三日の暮れに着き、十一月十日に出船する。
……直ニ山川江廻船同日暮時分山川湊 着船逗留同十一月十日順風有之山川出船十一日之朝門之浦 着船十二日門之浦出…
……直ニ山川江廻船同日暮時分山川湊 着船逗留同十一月十日順風有之山川出船十一日之朝門之浦 着船十二日門之浦出船紀伊国船……
……直ニ山川江廻船同日暮時分山川湊 着船逗留同十一月十日順風有之山川出船十一日之朝門之浦 着船十二日門之浦出船紀伊国船……
山川を出た船が十一日朝に着き、十二日に出た港。薩摩半島南岸、加治佐川河口の門之浦が候補で、現在の南九州市知覧町南別府にあたる。『地理纂考』はこの河口を門之浦と記す。
日本語の地名とみられる。語源は未詳。
…同日暮時分山川湊 着船逗留同十一月十日順風有之山川出船十一日之朝門之浦 着船十二日門之浦出船紀伊国船……
…着船逗留同十一月十日順風有之山川出船十一日之朝門之浦 着船十二日門之浦出船紀伊国船……
本文の表記 紀伊國
本文では別の船を「紀伊國船」と記す。紀伊国は紀伊半島南部の旧国。
…十一月十日順風有之山川出船十一日之朝門之浦 着船十二日門之浦出船紀伊国船……
浜之市を出船した日。冒頭にも正徳元年(1711)十月廿三日と記す。月日は当時の日本の太陰太陽暦による。
……卯十月廿三日浜之市出船当日……
山川に着いた時刻。「同日」は浜之市を出た正徳元年十月廿三日を受ける。グレゴリオ暦では1711年12月2日の夕方にあたる。
……直ニ山川江廻船同日暮時分山川湊 着船逗留同十一月十日順風有之山川出船十一日之朝門之浦 着船十二日門之浦出船紀伊国船……
日向(ひゅうが)国。現在の宮崎県域にほぼ重なる旧国。本文では十一月十二日の暮れまで日向の山が見え、その後は山が見えなくなったと記す。山の名と船の位置は不明。
日本の旧国名。
……十二日の暮時分まてハ日向 山を見居候其あとより山を見不申……
「百三四十人」が船へ押し寄せたと記される朝。旧暦四月六日で、前段の正徳二年(1712)に従えばグレゴリオ暦1712年5月11日にあたる。
……四月六日の朝不残ゑそ百三四十人此船へ乱寄……
蝦夷(えぞ)。近世の日本語でアイヌの人々を指す呼称。この箇所では、四月六日の朝に「百三四十人」が船へ押し寄せたと記される。
……四月六日の朝不残ゑそ百三四十人此船へ乱寄……
本文の表記 正徳二年 辰九月廿八日
松前方の証文の末尾に記された日付。正徳2年9月28日は、グレゴリオ暦1712年10月28日にあたる。
…遣候、今度大形罷登り候 ̄ニ付、右之通無異儀候条、如此御座候以上、正徳二年辰九月廿八日 松前志摩守内 高橋浅右衛門松平薩摩守様御領内船手御役人衆中一辰十月十一日、松前罷立、便船弐艘 ̄…
厚岸へ松前船が着いた日。正徳2年8月22日はグレゴリオ暦1712年9月22日にあたる。漂流者たちは、その船に同月29日に乗り移った。
……八月廿二日……
奉行にあたる人物の呼称。アイヌ語 nispa は有力な男性や主人への敬称で、「ミシバ」との対応が考えられる。ただし、この記録での役職の範囲は詳しくわからない。
……ミシバ鷲の尾羽……
鷲の尾羽を指す語。知里真志保『分類アイヌ語辞典』動物篇は、鳥の尾をいう pispis と古い記録の「ヒシヒシ」を挙げる。「ひし〳〵」もこの語にあたると考えられる。
……ひし〳〵……
火を指す語。アイヌ語 ape(火)にあたる。
……火とはあべ水とはたい薪とはつくね不知と云はいらみしかれ食……
この語彙一覧では水の呼称。一般的なアイヌ語の wakka(水)とは形が異なり、「たい」に対応する語は不明。
……火とはあべ水とはたい薪とはつくね不知と云はいらみしかれ食……
薪を指す語。アイヌ語 cikuni は木・木材・薪を意味し、「つくね」に対応すると考えられる。
……火とはあべ水とはたい薪とはつくね不知と云はいらみしかれ食……
「知らない」という表現。アイヌ語 eramiskari(知らない、覚えがない)に近い形。
……火とはあべ水とはたい薪とはつくね不知と云はいらみしかれ食……
糀を指す語。アイヌ語 kamtaci(糀)にあたる。萱野茂の辞典は、日本語の古い呼称「かむたち」との関係を記す。
……かみたち……
諸白の呼称として記された言葉。諸白は、麹を作る米にも仕込み用の米にも白米を使って醸す酒。
日本語と同じ形だが、この場面でどの言語の語として使われたかは不明。
……諸白は油さけ衣裳はき 日本人……
日本人を指す呼称として記される。そばに小書きで「シヤモン」とも記す。「とくり」の語源は不明。
……とくり又……
日本人の別称。「とくり」の横に小さく記され、「とも云」と続く。語末を含め、対応するアイヌ語の形は確定できない。
……シヤモンとも云女……
女を指す語。アイヌ語 menoko(女)にあたる。田村すず子の辞典は日本語からの借用語とする。
アイヌ語として使われる日本語からの借用語。
……めのこ忝とはやい〳〵けり老人……
感謝を表す言葉。「忝」と意味を添える。アイヌ語の感謝の挨拶 iyayraykere と比べられるが、記された形には音の違いがある。
……めのこ忝とはやい〳〵けり老人……
老人などへの呼びかけとして記される。アイヌ語 ottena は日本語の「おとな(乙名)」に由来し、村の長や、和人がアイヌの男性を呼ぶ言葉として辞典に載る。
アイヌ語として使われる日本語からの借用語。
……おつてな其以下の者はおつかいほおつてなおつかいほうの上に……
……おつてな其以下の者はおつかいほおつてなおつかいほうの上に……
本文の表記 おつかいほ · おつかいほう
「おつてな」の説明に続き、「其以下の者」への呼びかけとして「おつかいほ」と記される。次の行では「おつかいほう」と繰り返す。アイヌ語 okkaypo は若い男性を指す。ここでの呼び分けと同じ範囲かは不明。
……おつてな其以下の者はおつかいほおつてなおつかいほうの上に……
……おつてな其以下の者はおつかいほおつてなおつかいほうの上に……
旅程の前後関係から正徳1年(旧暦)10月23日と読む。対応するグレゴリオ暦の日付は1711-12-02。出船日は3コマの冒頭、出船地は4コマ右丁に記される。
本文の日本語による日付表現。年・月の補足と暦の換算は、参照先の旅程・暦資料に基づく。
…全恵渡路部漂流記全大隅国国分の内浜の市舩奥ゑそゑとろふに漂着之記正徳元辛卯十月廿三日出船翌年辰十一月四日武州江戸芝御屋敷 ̄え帰着仕候一浜之市舩頭、次郎左衛門舩、 但船 ̄は五年舟 ̄に…
旅程の前後関係から正徳1年(旧暦)11月10日と読む。対応するグレゴリオ暦の日付は1711-12-19。年は3コマの正徳元年。月日は4コマ左丁の部分翻刻による。
本文の日本語による日付表現。年・月の補足と暦の換算は、参照先の旅程・暦資料に基づく。
……直ニ山川江廻船同日暮時分山川湊 着船逗留同十一月十日順風有之山川出船十一日之朝門之浦 着船十二日門之浦出船紀伊国船……
旅程の前後関係から正徳1年(旧暦)11月11日と読む。対応するグレゴリオ暦の日付は1711-12-20。年は3コマの正徳元年、月は直前の十一月。日付と朝の語は左丁の2行にまたがる。
本文の日本語による日付表現。年・月の補足と暦の換算は、参照先の旅程・暦資料に基づく。
…山川江廻船同日暮時分山川湊 着船逗留同十一月十日順風有之山川出船十一日之朝門之浦 着船十二日門之浦出船紀伊国船……
旅程の前後関係から正徳1年(旧暦)11月12日と読む。対応するグレゴリオ暦の日付は1711-12-21。年は3コマの正徳元年、月は直前の十一月。日付は4コマ左丁の部分翻刻による。
本文の日本語による日付表現。年・月の補足と暦の換算は、参照先の旅程・暦資料に基づく。
…川湊 着船逗留同十一月十日順風有之山川出船十一日之朝門之浦 着船十二日門之浦出船紀伊国船……
旅程の前後関係から正徳1年(旧暦)11月12日と読む。対応するグレゴリオ暦の日付は1711-12-21。月は4コマの十一月、年は3コマの正徳元年による。5コマの「暮時分」をその日の夕方と読む。
本文の日本語による日付表現。年・月の補足と暦の換算は、参照先の旅程・暦資料に基づく。
……十二日の暮時分まてハ日向 山を見居候其あとより山を見不申……
旅程の前後関係から正徳2年(旧暦)4月3日と読む。対応するグレゴリオ暦の日付は1712-05-08。年・月・日はこの箇所に明記される。後続の接岸記事には「翌日」があるため、上陸日とは区別する。
本文の日本語による日付表現。年・月の補足と暦の換算は、参照先の旅程・暦資料に基づく。
……正徳二年壬辰四月三日……
旅程の前後関係から正徳2年(旧暦)4月6日と読む。対応するグレゴリオ暦の日付は1712-05-11。月日は証文の「当四月六日」、年は同じ証文の末尾「正徳二年 辰九月廿八日」による。
本文の日本語による日付表現。年・月の補足と暦の換算は、参照先の旅程・暦資料に基づく。
…一月十二日大坂へ廻候節、逢難風沖合 ̄ニ被吹放、無斗方漂流申所、当四月六日当領、蝦夷地之内ゑとろふと申島へ、漂着破船申候由、其所之ゑひす共致介抱候処、右拾五人之内御領山川…
旅程の前後関係から正徳2年(旧暦)8月3日と読む。対応するグレゴリオ暦の日付は1712-09-03。月日は到着記事の「当八月三日」、年は同じ証文の末尾「正徳二年 辰九月廿八日」による。
本文の日本語による日付表現。年・月の補足と暦の換算は、参照先の旅程・暦資料に基づく。
…彼所へ夷共右拾四人之者、六月廿日あつけしと申所へ送 ̄リ届候処、当八月三日、志摩守手船あつけしへ着遣候 ̄ニ付、於彼所右之者共致介抱、手船は召列、松前城下へ当九月廿日、致着…
旅程の前後関係から正徳2年(旧暦)8月29日と読む。対応するグレゴリオ暦の日付は1712-09-29。月日は乗船記事に明記される。年は巻末の証文の正徳二年による。
本文の日本語による日付表現。年・月の補足と暦の換算は、参照先の旅程・暦資料に基づく。
……八月廿九日……
旅程の前後関係から正徳2年(旧暦)9月20日と読む。対応するグレゴリオ暦の日付は1712-10-20。年は冒頭の正徳元年の出航と翌年の帰着記事による。月は着船記事の九月。月日は当時の暦による。
本文の日本語による日付表現。年・月の補足と暦の換算は、参照先の旅程・暦資料に基づく。
…も相見へ、能所にて候、一昼夜滞船、それより津軽のみむきやに着舩、九月廿日、みむきや出船、其日松前城下まて、着舩いたし候、みむきやより、松前城下迄は七里の切戸なり、汐行早…
旅程の前後関係から正徳2年(旧暦)9月20日と読む。対応するグレゴリオ暦の日付は1712-10-20。年は冒頭の正徳元年の出航と翌年の帰着記事による。月は着船記事の九月。月日は当時の暦による。
本文の日本語による日付表現。年・月の補足と暦の換算は、参照先の旅程・暦資料に基づく。
…やより、松前城下迄は七里の切戸なり、汐行早く大事の所 ̄ニ而候、一九月廿日奥州松前、松前志摩守様御城下の浜人、致着舩候、則半太夫は陸路へ上り被申、漂着人共は三日舩に被差置…
旅程の前後関係から正徳2年(旧暦)9月23日と読む。対応するグレゴリオ暦の日付は1712-10-23。年は冒頭の正徳元年の出航と翌年の帰着記事による。月は着船記事の九月。月日は当時の暦による。
本文の日本語による日付表現。年・月の補足と暦の換算は、参照先の旅程・暦資料に基づく。
…人、致着舩候、則半太夫は陸路へ上り被申、漂着人共は三日舩に被差置廿三日の晩、宿三軒被相渡候て、陸へ上り候宿主、右舩乗の船頭手嶋仲七、同役江田佐茂右衛門、同役何 ̄ノ勘左…
旅程の前後関係から正徳2年(旧暦)11月4日と読む。対応するグレゴリオ暦の日付は1712-12-02。正徳元年の出船に続く翌年の帰着日。屋敷の所在地は特定していない。
本文の日本語による日付表現。年・月の補足と暦の換算は、参照先の旅程・暦資料に基づく。
…国分の内浜の市舩奥ゑそゑとろふに漂着之記正徳元辛卯十月廿三日出船翌年辰十一月四日武州江戸芝御屋敷 ̄え帰着仕候一浜之市舩頭、次郎左衛門舩、 但船 ̄は五年舟 ̄に而新敷 堅く御座候十…
松前(まつまえ)は北海道南西端の城下町を中心とする呼称。現在の松前町にあたり、文脈によって松前藩やその支配地域も指す。『蝦夷草紙』では交易・渡海・統治の中心として用いられる。
本文の呼称からの暫定分類。語源と現代の地名との対応は未確認。
…事はたい薪はつくね不知と云事はいらみしかれ食はあまも糀はかみたち松前ゟ渡し諸白は油さけ衣類は着物と申候日本人をは又は とくり しやも也 女はめのこ忝とはやいやいけり…
…女は直に薪を取働いたし帰申候子共の着物は大方犬の皮にて候島つきに松前之方へ送申候船中にても子を産候女子有之候殊之外心易く平産いたし候て右の仕方にて産置候一剥取候衣類…
…高麗の方より渡り申候由北高麗は奥ゑその方日本の方より近く御座候由松前の殿様より商事も大分被仰付御勝手に相成候由金銀銅山の事御掘せ候成大分出可申様子必定候由前〳〵より…
…公儀様より御役人様遣され金銀山御堀らせ被遊田畑等開発被仰付候はゝ松前又は津軽辺も其外東の国方繁昌に罷成候はゝ我々迄も潤ひに相成可申候総て松前とえそとの事色々商事も有…
…津軽辺も其外東の国方繁昌に罷成候はゝ我々迄も潤ひに相成可申候総て松前とえそとの事色々商事も有之松前の殿様の御ために罷成中〳〵申つくされぬ事共に御座候得共昔より殊梶取…
…候はゝ我々迄も潤ひに相成可申候総て松前とえそとの事色々商事も有之松前の殿様の御ために罷成中〳〵申つくされぬ事共に御座候得共昔より殊梶取三五郎罷出候所委細被仰尋候内へ…
…へは浅右衛門与をさましゑとろふの方は放れ島にて此方の仕置も届不申松前へ地続の方とは違候へ共左様にては有之間敷と機嫌あし候ゆへ其様体を梶取三五郎見請候て辞左様とは無之…
日本(にほん・にっぽん)。『蝦夷草紙』では、蝦夷地から見た和人の住む土地を指す。米・酒・衣類などが運ばれてくる土地として記される。
本文の呼称からの暫定分類。語源と現代の地名との対応は未確認。
…候故へ後には此方より申事も少は聞しり彼方ゟ申も聞覚へ申候間間には日本言葉も有之候奉行と申事はミシバ鷲の尾羽はひし〳〵火の事はあべ水の事はたい薪はつくね不知と云事はい…
…、右の所は何百里続やらん程も知申さす金山銀山銅山鉄錫山大分有之由日本の米を重宝かり申候諸向田畑も奥ゑそ#2の方は有之候得共口蝦夷の方五百里の内自由も能く織物るひ錦迄…
…候由噂に申候得とも実は北高麗の方より渡り申候由北高麗は奥ゑその方日本の方より近く御座候由松前の殿様より商事も大分被仰付御勝手に相成候由金銀銅山の事御掘せ候成大分出可…
津軽(つがる)は現在の青森県西部の歴史的地域名。松前との海峡交通、渡海する人々の出身地、食料などの供給地として現れる。
本文の呼称からの暫定分類。語源と現代の地名との対応は未確認。
…り御役人様遣され金銀山御堀らせ被遊田畑等開発被仰付候はゝ松前又は津軽辺も其外東の国方繁昌に罷成候はゝ我々迄も潤ひに相成可申候総て松前とえそとの事色々商事も有之松前の…
…文被相渡候に付其通りに相認ゆひ判いたし相渡申候其後被申候は当地ゟ津軽の地迄可送届候得共折節船不有合候幸ひ使船在之候夫へ乗候て参る間敷哉と被申候に付便船にて遣され被下…
本文の表記 奥ゑそ · 奥夷
奥蝦夷(おくえぞ)は、和人地・松前から遠い側の蝦夷地を示す地域名。『蝦夷草紙』では北海道内の奥地を含み、樺太など遠方の島を指す用例もある。『蝦夷薮話』の「奥夷」は、金の採掘や金を用いた織物についての伝聞に現れる。
日本語の地域呼称。歴史的な範囲は本文の用例ごとに異なる。
…さす金山銀山銅山鉄錫山大分有之由日本の米を重宝かり申候諸向田畑も奥ゑそ#2の方は有之候得共口蝦夷の方五百里の内自由も能く織物るひ錦迄も織候由噂に申候得とも実は北高麗の…
…ひ錦迄も織候由噂に申候得とも実は北高麗の方より渡り申候由北高麗は奥ゑその方日本の方より近く御座候由松前の殿様より商事も大分被仰付御勝手に相成候由金銀銅山の事御掘せ候成…
…慮にて御掘らせ被成す候由夫共に所の者も つゝの稼に砂金は出し尤奥夷の方にては大分掘候や織物にも金入を仕候口蝦夷のかた平地も何百里も続候所有之田畑にいたし候得共何十…
口蝦夷(くちえぞ)は、松前から見て近い側の蝦夷地を指す歴史的地域名。現在の北海道南西部、概ね渡島・檜山・後志・胆振の地域にあたる。『蝦夷草紙』巻二の地境の説明では、口・奥を遠近の呼称とし、国文学研究資料館本は山越えの通路より松前寄りを口蝦夷とする。この通路の名は龍谷大学本で「シコツ越」、国文学研究資料館本で「シフワ」越と翻刻されている。指す範囲には時期・史料による幅があり、上記四地域の現在の境界と一致するとは限らない。
松前からの遠近を「口/奥」で表す日本語の地域呼称。『蝦夷草紙』は日本に近い蝦夷地を口蝦夷、遠い蝦夷地を奥蝦夷と説明する。
…有之由日本の米を重宝かり申候諸向田畑も奥ゑそ#2の方は有之候得共口蝦夷の方五百里の内自由も能く織物るひ錦迄も織候由噂に申候得とも実は北高麗の方より渡り申候由北高麗は奥…
…つゝの稼に砂金は出し尤奥夷の方にては大分掘候や織物にも金入を仕候口蝦夷のかた平地も何百里も続候所有之田畑にいたし候得共何十万石も出来候得共是又御公儀様の御遠慮にて御人…
『蝦夷藪話』で、奥蝦夷へ錦などの織物をもたらす北方の地域として語られる名称。日本より奥蝦夷に近いとする伝聞に現れる。筆者が大陸側の交易地域を呼ぶ名。
日本語の地域呼称。歴史的な範囲は本文の用例ごとに異なる。
…夷の方五百里の内自由も能く織物るひ錦迄も織候由噂に申候得とも実は北高麗の方より渡り申候由北高麗は奥ゑその方日本の方より近く御座候由松前の殿様より商事も大分被仰付御勝手…
…く織物るひ錦迄も織候由噂に申候得とも実は北高麗の方より渡り申候由北高麗は奥ゑその方日本の方より近く御座候由松前の殿様より商事も大分被仰付御勝手に相成候由金銀銅山の事御…
択捉島(えとろふとう)。国後島の北東に位置する千島列島の島で、『蝦夷草紙』ではアイヌの集落、漂流船、ロシア人との接触が語られる。「ゑとろふ」「エトロフ」などは記録ごとの表記。
本文の呼称からの暫定分類。語源と現代の地名との対応は未確認。
…下〳〵はもまれに一つは着申候米も位よき者食給申候一拾四人の者ともゑとろふに罷在候内食をもあたへ不申候故心安く通り候様にも可相成由内〳〵#1にては気勢成者は歩行にても右陸…
…されぬ事共に御座候得共昔より殊梶取三五郎罷出候所委細被仰尋候内へゑとろふにてこと〳〵く取上けはたかに罷成候て一物も無之食事をもあたへ不申段〳〵打擲のわけ山河の長右衛門行…
…届可申迚呼出され候船頭は猶以一つも残す申候へは浅右衛門与をさましゑとろふの方は放れ島にて此方の仕置も届不申松前へ地続の方とは違候へ共左様にては有之間敷と機嫌あし候ゆへ其…
本文の表記 あつけし
厚岸(あっけし)。現在の北海道厚岸町、厚岸湾・厚岸湖の周辺にあたる地名。『蝦夷草紙』では東蝦夷地の交易拠点や沿岸航路の地点として現れる。
本文の呼称からの暫定分類。語源と現代の地名との対応は未確認。
…1にては気勢成者は歩行にても右陸つゝきの山道も罷通候よしてらを、あつけし、めなし、けいこく、おさるへつ、かやまん、へうすさん、きいたつふ#3、のちふ、右の所は何百里続や…
『蝦夷藪話』が厚岸・めなしなどと並べる蝦夷地の地域名。山道でつながり鉱物資源が多いという伝聞の中に現れる。現代の地名への確実な対応は得られておらず、列挙された隣の名と原本の字形が比定の手掛かりとなる。
本文の呼称からの暫定分類。語源と現代の地名との対応は未確認。
…内〳〵#1にては気勢成者は歩行にても右陸つゝきの山道も罷通候よしてらを、あつけし、めなし、けいこく、おさるへつ、かやまん、へうすさん、きいたつふ#3、のちふ、右の所は…
メナシはアイヌ語の東方を表す語に関わる地域呼称。蝦夷地の東側、特に根室・知床方面を指す用法がある。『蝦夷藪話』でも箇所によって指す範囲が異なり、語彙表の「東」という訳語と地名としての用法は別物。
本文の呼称からの暫定分類。語源と現代の地名との対応は未確認。
…勢成者は歩行にても右陸つゝきの山道も罷通候よしてらを、あつけし、めなし、けいこく、おさるへつ、かやまん、へうすさん、きいたつふ#3、のちふ、右の所は何百里続やらん程も…
『蝦夷藪話』で、厚岸・めなしから続く蝦夷地の名の列に現れる。広い陸続きの地域と金属資源を述べる伝聞の一部。一般名詞「渓谷」と同一とは決めず、仮名の地域名として保留する。
本文の呼称からの暫定分類。語源と現代の地名との対応は未確認。
…歩行にても右陸つゝきの山道も罷通候よしてらを、あつけし、めなし、けいこく、おさるへつ、かやまん、へうすさん、きいたつふ#3、のちふ、右の所は何百里続やらん程も知申さす金…