江戸幕府を指す敬称。松前側が鉱山を掘らせないのは幕府への遠慮からだ、とする話に現れる。
用例(1件)
- 北海道大学附属図書館 · 24コマ・12行 · 御公儀
…得は、大分出可申様子必定之由、前々ゟ申伝、功者之者も左様申候得共御公儀様 ̄えの御遠慮にて、御堀せ不被成候由、夫共 ̄ニ所之ものとも少々つゝの稼(カセキ)に沙金は出 ̄シ、…
えとろふ ひょうりゅうき · Etorofu hyōryūki · 散文 · 地名 · 旅程 · 集字 · 目録レコード
この資料に現れる固有名・語句と、各写本の出現箇所。
江戸幕府を指す敬称。松前側が鉱山を掘らせないのは幕府への遠慮からだ、とする話に現れる。
…得は、大分出可申様子必定之由、前々ゟ申伝、功者之者も左様申候得共御公儀様 ̄えの御遠慮にて、御堀せ不被成候由、夫共 ̄ニ所之ものとも少々つゝの稼(カセキ)に沙金は出 ̄シ、…
高橋浅右衛門の屋敷へ出向き、漂流の事情を尋ねられた日。この箇所に月の記載はない。
…ニ成、かろき奉公なといたし居申候者も有之由、是も宿之もの咄申候一廿三日町奉行之由、高橋浅右衛門所へ、半太夫被召連罷出候へは、台所之様成所にて、岡部四郎右衛門と申仁被召…
本文の表記 山川 · 山川湊
山川(やまがわ)。現在の鹿児島県指宿市山川にある港。琉球との往来や物資輸送の拠点となった。本文では十月廿三日の暮れに着き、十一月十日に出船する。
……直ニ山川江廻船同日暮時分山川湊 着船逗留同十一月十日順風有之山川出船十一日之朝門之浦 着船十二日門之浦出…
……直ニ山川江廻船同日暮時分山川湊 着船逗留同十一月十日順風有之山川出船十一日之朝門之浦 着船十二日門之浦出船紀伊国船……
……直ニ山川江廻船同日暮時分山川湊 着船逗留同十一月十日順風有之山川出船十一日之朝門之浦 着船十二日門之浦出船紀伊国船……
山川を出た船が十一日朝に着き、十二日に出た港。薩摩半島南岸、加治佐川河口の門之浦が候補で、現在の南九州市知覧町南別府にあたる。『地理纂考』はこの河口を門之浦と記す。
日本語の地名とみられる。語源は未詳。
…同日暮時分山川湊 着船逗留同十一月十日順風有之山川出船十一日之朝門之浦 着船十二日門之浦出船紀伊国船……
…着船逗留同十一月十日順風有之山川出船十一日之朝門之浦 着船十二日門之浦出船紀伊国船……
本文の表記 紀伊國
本文では別の船を「紀伊國船」と記す。紀伊国は紀伊半島南部の旧国。
…十一月十日順風有之山川出船十一日之朝門之浦 着船十二日門之浦出船紀伊国船……
浜之市を出船した日。冒頭にも正徳元年(1711)十月廿三日と記す。月日は当時の日本の太陰太陽暦による。
……卯十月廿三日浜之市出船当日……
山川に着いた時刻。「同日」は浜之市を出た正徳元年十月廿三日を受ける。グレゴリオ暦では1711年12月2日の夕方にあたる。
……直ニ山川江廻船同日暮時分山川湊 着船逗留同十一月十日順風有之山川出船十一日之朝門之浦 着船十二日門之浦出船紀伊国船……
日向(ひゅうが)国。現在の宮崎県域にほぼ重なる旧国。本文では十一月十二日の暮れまで日向の山が見え、その後は山が見えなくなったと記す。山の名と船の位置は不明。
日本の旧国名。
……十二日の暮時分まてハ日向 山を見居候其あとより山を見不申……
旧暦四月六日の朝。前段に正徳二年(1712)とあり、この年ではグレゴリオ暦1712年5月11日にあたる。
……四月六日の朝……
旅程の前後関係から正徳1年(旧暦)10月23日と読む。対応するグレゴリオ暦の日付は1711-12-02。出船日は3コマの冒頭、出船地は4コマ右丁に記される。
本文の日本語による日付表現。年・月の補足と暦の換算は、参照先の旅程・暦資料に基づく。
…全恵渡路部漂流記全大隅国国分の内浜の市舩奥ゑそゑとろふに漂着之記正徳元辛卯十月廿三日出船翌年辰十一月四日武州江戸芝御屋敷 ̄え帰着仕候一浜之市舩頭、次郎左衛門舩、 但船 ̄は五年舟 ̄に…
旅程の前後関係から正徳1年(旧暦)11月10日と読む。対応するグレゴリオ暦の日付は1711-12-19。年は3コマの正徳元年。月日は4コマ左丁の部分翻刻による。
本文の日本語による日付表現。年・月の補足と暦の換算は、参照先の旅程・暦資料に基づく。
……直ニ山川江廻船同日暮時分山川湊 着船逗留同十一月十日順風有之山川出船十一日之朝門之浦 着船十二日門之浦出船紀伊国船……
旅程の前後関係から正徳1年(旧暦)11月11日と読む。対応するグレゴリオ暦の日付は1711-12-20。年は3コマの正徳元年、月は直前の十一月。日付と朝の語は左丁の2行にまたがる。
本文の日本語による日付表現。年・月の補足と暦の換算は、参照先の旅程・暦資料に基づく。
…山川江廻船同日暮時分山川湊 着船逗留同十一月十日順風有之山川出船十一日之朝門之浦 着船十二日門之浦出船紀伊国船……
旅程の前後関係から正徳1年(旧暦)11月12日と読む。対応するグレゴリオ暦の日付は1711-12-21。年は3コマの正徳元年、月は直前の十一月。日付は4コマ左丁の部分翻刻による。
本文の日本語による日付表現。年・月の補足と暦の換算は、参照先の旅程・暦資料に基づく。
…川湊 着船逗留同十一月十日順風有之山川出船十一日之朝門之浦 着船十二日門之浦出船紀伊国船……
旅程の前後関係から正徳1年(旧暦)11月12日と読む。対応するグレゴリオ暦の日付は1711-12-21。月は4コマの十一月、年は3コマの正徳元年による。5コマの「暮時分」をその日の夕方と読む。
本文の日本語による日付表現。年・月の補足と暦の換算は、参照先の旅程・暦資料に基づく。
……十二日の暮時分まてハ日向 山を見居候其あとより山を見不申……
旅程の前後関係から正徳2年(旧暦)4月3日と読む。対応するグレゴリオ暦の日付は1712-05-08。年・月・日はこの箇所に明記される。後続の接岸記事には「翌日」があるため、上陸日とは区別する。
本文の日本語による日付表現。年・月の補足と暦の換算は、参照先の旅程・暦資料に基づく。
……正徳二年壬辰四月三日……
旅程の前後関係から正徳2年(旧暦)9月20日と読む。対応するグレゴリオ暦の日付は1712-10-20。年は冒頭の正徳元年の出航と翌年の帰着記事による。月は着船記事の九月。月日は当時の暦による。
本文の日本語による日付表現。年・月の補足と暦の換算は、参照先の旅程・暦資料に基づく。
…も相見へ、能所にて候、一昼夜滞船、それより津軽のみむきやに着舩、九月廿日、みむきや出船、其日松前城下まて、着舩いたし候、みむきやより、松前城下迄は七里の切戸なり、汐行早…
旅程の前後関係から正徳2年(旧暦)9月20日と読む。対応するグレゴリオ暦の日付は1712-10-20。年は冒頭の正徳元年の出航と翌年の帰着記事による。月は着船記事の九月。月日は当時の暦による。
本文の日本語による日付表現。年・月の補足と暦の換算は、参照先の旅程・暦資料に基づく。
…やより、松前城下迄は七里の切戸なり、汐行早く大事の所 ̄ニ而候、一九月廿日奥州松前、松前志摩守様御城下の浜人、致着舩候、則半太夫は陸路へ上り被申、漂着人共は三日舩に被差置…
旅程の前後関係から正徳2年(旧暦)9月23日と読む。対応するグレゴリオ暦の日付は1712-10-23。年は冒頭の正徳元年の出航と翌年の帰着記事による。月は着船記事の九月。月日は当時の暦による。
本文の日本語による日付表現。年・月の補足と暦の換算は、参照先の旅程・暦資料に基づく。
…人、致着舩候、則半太夫は陸路へ上り被申、漂着人共は三日舩に被差置廿三日の晩、宿三軒被相渡候て、陸へ上り候宿主、右舩乗の船頭手嶋仲七、同役江田佐茂右衛門、同役何 ̄ノ勘左…
旅程の前後関係から正徳2年(旧暦)11月4日と読む。対応するグレゴリオ暦の日付は1712-12-02。正徳元年の出船に続く翌年の帰着日。屋敷の所在地は特定していない。
本文の日本語による日付表現。年・月の補足と暦の換算は、参照先の旅程・暦資料に基づく。
…国分の内浜の市舩奥ゑそゑとろふに漂着之記正徳元辛卯十月廿三日出船翌年辰十一月四日武州江戸芝御屋敷 ̄え帰着仕候一浜之市舩頭、次郎左衛門舩、 但船 ̄は五年舟 ̄に而新敷 堅く御座候十…