4一舩頭、舩、但船 ̄は五年舟 ̄に而新敷 堅く御座候十五端帆
5沖船頭 雇 五十一歳
6梶取 ノ 四十一才
7水主 ノ 三十二才 卅五才
8 廿二才 十九才 十七才
4部分翻刻 · ERDAL 右丁の出船日と、右丁末尾「直ニ山川江廻船」から左丁2行目「紀伊國船」までの試読。…は未翻刻部分、〓は未判読の字。 1…卯出船当日…
2…直ニ江廻船
5部分翻刻 · ERDAL 右丁末尾2行の「十二日」から「山を見不申」までの試読。…は未翻刻部分、〓は未判読の字。 1…の暮時分まてハ〓山を見居候其あとよ
2り山を見不申…
8部分翻刻 · ERDAL 左丁の「正徳二年」から「嶋を見付申と申候」までの部分翻刻。日付・方角と距離・島の発見を記す箇所を読む。…は未翻刻部分。 1……西の方二三十里…
2…嶋を見付申と申候…
11部分翻刻 · ERDAL 右丁の左から2行目、「四月六日の朝」から「乱寄」までの部分翻刻。…は未翻刻部分。 1…不残百三四十人此船へ乱寄…
121具、彼者共へ心任せに渡し不申候に付いため申たるにて候、2扨陸へ上 ̄リ候て、山河の長右衛門見へ不申候ゆへ、何方へ参 ̄リ候やと方々3相尋、本船の内をも尋候へ共、不相見候、若山中へ逃行候やと、六七4人手わけ仕候て、雪の内足跡をつたひ、尋行候所の者も、両5人案内に相附、かなたこなた尋見申候へとも、行衛知不申候、6刃物は持不申候へは、自害可仕様も無之候、余 ̄リおそろしくせん7かたなきまま首をもくくりしめ死しやと存候、但海中へ飛入死8候やとかく知不申候、所の者ころしたるとは存られす候、拾四人9の者共は、食も絶、家居もなく、只なけき罷在候、本船の諸物は10右所の者共わけ取申候、御米も弐百石余 ̄リ有之候、船頭当用11銀として持居候三百目は、竜宮へ上 ̄ケ候とて、海中へ投 ̄ケ入、其外用12心銀拾貫目余 ̄リ有之候、船も打破 ̄リ、かな物を取、橋舟は焼候て、か13な物を取申候、右之通に仕候を、同心いたさす少にても敵対いたし14候はは、皆々殺申に相究候ゆへ、少しも背き不申候、身 ̄ニ着たる物、15下帯迄剥取申候、背候はは殺可申と相見へ、半弓鑓■其辺16の草原へ大分ふせ有之候、扨壱人寄来候て、西の山をゆひさし17部分翻刻 · ERDAL 語彙一覧の部分翻刻。…は未翻刻部分、〓は未判読の字。小書きは「とくり」に添えられた別称。 1…奉行… 鷲の尾羽……
2火とは 水とは
3薪とは 不知と云は
4食…あま〓 糀…
5…諸白は 衣裳は き〓
6日本人… 又…とも云 女…
7忝とは
8老人… 其以下の者は
9 の上に…
181不申候、誰にてもおつてなおつかいほうと、それそれによひ候へは、2おうと答申候、去月はおしゆら月、常に穢不浄を忌
3不申候
4女の経水無之、子をうみ候時は、山に行産いたし、其子は犬の皮5に包、あとさきを縄にて結、つとの様にいたしひつさけ、ありき6候へとも、然々 鳴 ̄キもいたさす候、赤子より背通 ̄リには、黒き毛一通り ̄リ7はへ在之候、産いたし候女直に薪を取働いたし帰申候、子共の8きる物は、大かた犬の皮にて候、島次に松前の方へ送 ̄リ申候、船中9にても子をうみ候女有之候、殊之外心安平産いたし候て右の仕10方にて指置候、
11一はき取候衣類は、位のよき者共着仕候、下々 ̄ニ而もまれに12壱つは着申候、米も位能者食を給申候、
13一拾四人の者ともゑとろふに罷在候内、食をもあたへ不申候故、14魚を煮候家を見すまし込入候て、乞食いたし候、くわせ候者も有15之、又かたすらに取入、くわせ申さぬ者も有之候、中途にて出合16候ては食にあい候やと、たかひに問合候て、いまた給申さすと申191者には何方に行候へ、能時分に候と通し合候て、漸命をつな2き申候、当分はゑひすとも、魚のせんし汁あらいしるをも鬚3にも身にも付候得とも、洗候事もなく、にほひ悪、息々胸をそ4こなひ申様、に有之候、次第に馴候ては、後は苦にも成申さす5候、尤得候て給候魚の煮申候は、殊の外風味能覚へ申候、居馴6なり申候、これしるし〳〵とたつね申候故、名の事にて可有之7と存、我等は何右衛門、これは何兵衛と申聞せ候得は、其後は銘々その8の名をよひ申候、
9一松前へ送 ̄リ帰しくれ候へと頼 ̄ミ候義を、聞請申候ゆへ、いつ頃10送 ̄リ申事に候やと言葉しかたにて尋候へは、月の形を丸くと11半月とに書、何月何日頃としらせ、さていろりの灰に、嶋の12形を書、手のはらを口にてふうと吹候て、風にて参り候様子13を知らせ申候、
14一六月の末にても候や、ゑとろふの船にて、ゑひす共松前へ送 ̄リ申15とて、拾四人の者を乗せ候て、ふな尻と申所へ渡り候、此間拾里の22部分翻刻 · ERDAL 松前船の厚岸到着と漂流者の乗船に関する部分翻刻。…は未翻刻部分。 1………
2…着岸…
3……船に乗移り…
231尋不被申此方より咄も不仕候、其外舟方の者共皆言葉相通 ̄シ2申候、其夜綿入着物壱つつくれ被申、着用仕候、いつも3ともへ、売物に持渡り候へ共、漂着舩の者難儀可仕とて幸有4合候てくれ被申候、共、木綿わた入壱つに、油桶二 ̄ケに替申候、5銀にして弐拾弐三両に当り候よし、
6一より、真西をさし、一順風に昼夜五日に7と申所に乗着は、此所は人家多く材木なと、大分多き所にて8身上宜ものも相見へ、能所にて候、一昼夜滞船、それよりの9に着舩、、出船、其日まて、着舩10いたし候、より、迄は七里の切戸なり、汐行早く大事11の所 ̄ニ而候、
12一、様御城下の浜人、致着舩13候、則は陸路へ上り被申、漂着人共は三日舩に被差置14の晩、宿三軒被相渡候て、陸へ上り候宿主、右舩乗の船頭15、同役、同役何 ̄ノと申者の家にて、朝夕16一汁一菜被申付被下候、此逗留のうち、色々の咄共承 ̄り申候、の241かたへ、より地続 ̄キにて御座候、先者難所にて往来不自由2故、舩にて商売の取遣りも仕候、然共道を作り候はは、右之難所も3中々よりは心あく通候様にも可罷成由、内々にては気勢成も4のは歩行にても、右陸続之山道も罷越候由、てらを、あつけし、5、、、、、6、右之所は何百里続候やる也、程も知 ̄レ不申、金山銀山銅山7鉄錫 山大分有之由、の米を重宝かり申候、熊向田畑も8の方は有之候得共、の方は九百里の内へ、自由もよく9織もの類、錦迄も織候由噂 ̄ニ申候得共、実はの方より渡り10申候由、は、の方、の方より近 ̄ク御座候由、之11殿様より商事も大分被仰付、御勝手 ̄ニ罷成候よし、金銀銅山の12事、御掘せ被成候得は、大分出可申様子必定之由、前々より申伝、功者13之者も左様申候得共 様 ̄えの御遠慮にて、御堀せ不被成14候由、夫共 ̄ニ所之ものとも少々つつの稼 に沙金は出 ̄シ、尤の方15にては、大分堀候哉織物にも金入を仕候、の方平地も、何百16里と続候所有之、田畑にいたし候得は何十万石も出来申候へ共、是又251御公儀様への御遠慮にて御人大勢□遣開発も不被仰付候由2若御公儀様より御役人様被遣、金銀山御堀せ被遊、田畑等開3発被仰付候はは、松前又は津軽辺、其外東の国方、繁昌 ̄ニ罷成4候はは、我々共迄も潤ひ ̄ニ罷成可申候、惣而松前与、ゑそとの事、色々5商事も有之、松前之殿様之御為 ̄ニ罷成候、中々申つくされぬ事6共 ̄ニ御座候得共、昔より殊外隠し申候、御家中の内より取計、商事7も被成、随分外へ、知不申様 ̄ニ被成候、个様之咄なと出候事も法度にて8候、各方あの方之儀大概にも見被申品 ̄ニ尋申候ゆへ、物語いたし候、9由申候、必々国本へ帰候ても其外 ̄ニ而も、我等共咄候と申事無用10とかたく口をとめ申候、品々ゑぞの事尋候得は、夫は不申事、是はいわ11ぬ事とて、ろくに咄も不仕候、地の広 ̄キハ勿論、総体宜品々の事も12有之趣 ̄ニ口ふり相聞申候得共、兎角隠し候而、しかしか不申聞候、松前13殿様之御手 ̄ニつき申候、ゑその内六百里と先申ならはし申候、あき14やし川と申大河御座候、鮭数の子とれ申候、此処川のへり ̄ニ杭を15打、是から是へ何百両、是から是へ何百両と、仕切申候而、簗を16かけ、鮭なとを取申候、殿様へ金子を上 ̄ケ、津軽其外之商人共、261御請負候申、是計 ̄ニ而も、夥敷御金の上 ̄リ申事 ̄ニ御座候、鯨の油2なと夥敷有之、ゑそより殿様へ上け申候鯨は、九月より末 ̄ニ大分寄り3申候鯨を取候ては、切候而、石の上 ̄ニのせ火を焼油を取申候、色々大木4共有之候、長 ̄サ之拾間程、竹の如 ̄クなる木有之候、くるくる巻候て手を5はなし候へは、元の通 ̄リまつすく ̄ニ罷成候、是をしうりの木と申候、6しばりの木と申事と相聞へ申候
7一私共 ̄ニ不限年中には度々漂着之船共在之参つけ申候も8のは商もいたし、罷帰候、松前は勿論津軽南部辺 ̄ニはゑそ人之9内、 ̄ニ成、かろき奉公なといたし居申候者も有之由、是も10宿之もの咄申候
11一町奉行之由、所へ、被召連罷出候へは、台12所之様成所にて、と申仁被召出逢懸舩頭13梶取罷出候処、委細被仰尋候故、にて委 ̄ク14取上 ̄ケはたかに罷成候而、一物も無之食事をもあたへ不申、段々15打擲のわけ、の行衛不知事とも一々申述候、其通16を江四郎右衛門被申達候声物越に聞へ候、聞271被申候而、□通りにては何とも気之毒成事に候と被申相〆2台所へ聞へ申候、扨四郎右衛門被罷出候而、長之敷事ゆへ然と覚3不申候間、書付候て出し候へと被申候ゆへ、□はましりにこと〳〵く4書付、船頭差出し候へは、直 ̄ニ浅右衛門承届可申とて、呼出され候、5船頭は猶以一つも残さす申候得は、浅右衛門奥をさましゑ゙とろ6ふの方ははなれ島にて、此方之仕置も届不申、松前地続の方7とは違候得共、左様にては有之ましき□、機嫌あしく候ゆへ、8其様躰を梶取三五郎見請候て、いや左様にては無之候、島9におゐても段々介抱仕候、船之義は荷物共に不残、沖にては10手捨申候、山河の長右衛門は病気にて相果申候由申候へは、成程其11通り ̄ニ可有之事と被申候、左候而岡部四郎右衛門所にて、此方へ書12付被相渡候、扨此方よりも手形相認差出候様 ̄ニ与案文、 被相13渡候 ̄ニ付、其通りに相認ゆび判、いたし相渡申候、其後被申14候は、当地より津軽地迄可送届候得共、其節船不有合候、15幸に便船有之候、それに乗候て、参ましきやと被申候 ̄ニ付、16便船にて被遣被下候へと申候得は、船弐艘に被申付候、総中281為路金、小判拾両幷もも引入用として木綿七端、被相渡2則宿主へ頼候て、縫仕立申候、宿主の船頭より、も船中にて3頭さむく可有之候間、つつみかへとて、手ぬくい壱つ宛くれ、4其外の宿主ともよりも、たはこ少つつくれ申候、扨是より5直 ̄ニ国本へ帰り候也、江戸大坂の内へも立寄候やと、町奉行より尋6被申候、江戸へ参候と申候はは、右之通にての致方聞7へも宜からさるやうに存られ、斟酌の様子に、推量いたし8候ゆへ、大坂へ罷越可申候、然なから津軽に渡り候ての了簡9に可仕よし申候へは、大坂には留守居なと有之候や、と被尋10候成程留守居有之候由申候へは、弥大坂へ参候て可然よし11被申候、彼方より相渡り候書付左に記申候、
12一松平薩摩守様御領内、小根古村船頭長右衛門、水主共拾五13人乗、薩摩守様御用米積、去卯十一月十二日大坂へ廻候節、逢14難風沖合 ̄ニ被吹放、無斗方漂流申所、当当領、蝦夷15地之内と申島へ、漂着破船申候由、其所之ゑひす共16致介抱候処、右拾五人之内御領山川町長右衛門と申水主、291急 ̄ニ煩敷、其所 ̄ニ而四月九日致病死候由此者申届候段承2候、彼所へ夷共右拾四人之者、六月廿日と申所へ3送 ̄リ届候処、当、志摩守手船へ着遣4候 ̄ニ付、於彼所右之者共致介抱、手船は召列、松前城下へ当九5月廿日、致着船候、右委細承届候 ̄ニ付、志摩守方より、致助6成、路金為取、此十四人共、津軽領迄送届指遣候、今度大7形罷登り候 ̄ニ付、右之通無異儀候条、如此御座候以上、8 松前志摩守内高橋浅右衛門
9松平薩摩守様御領内
10船手御役人衆中
11一辰十月十一日、松前罷立、便船弐艘 ̄ニ乗候而、津軽の青盛迄12申所へ、十二日の朝着船申候、此所は家数千軒計も在之、13所にて候、立宿にて即刻罷立、夫より南部領内を
14通候而道中に懸り申候、旅行之儀は御国元よりの
15、往来宗門付之書付持居候故、何方も無滞罷通候、
16泊り泊りにては、木賃泊いたし、一日も馬に乗不申、皆々301歩之通 ̄シに仕候、南部と津軽の間にて、三人列の商人 ̄ニ2行逢て、南部にては一ツ宿に泊 ̄リ申候、三人の内両人は3大坂元老須町の、長五郎□□□、□人は伊勢者のよし、4皆船大工にて、奥州へ船作りに参候て帰候由、此方共は、5何方衆にて候哉と尋候故西国ものにて候と申候へは
6国はいつれにて候やと申 ̄ニ付、薩摩者にて候、か様之7難風にて、漂着の体物語いたし候へは扨々笑止成事 ̄ニ候、大坂8にても兼て、其義及承候、ゑとろふへ着候而は、さそさそ9難義にて可有之候、路金も有之候由、不足に候はは
10金子弐三両も可遣之由申候へ共、相応に持合候よし
11申候へは、菅笠を一ツつつ買候て、くれ申候、翌日別れ其12しともは、馬にて通 ̄リ候故、重て進不申候、夫より
13道中二十四日ふりにて、武州江戸芝御屋敷
14十一月四日致到着候□□□□□
15右漂流之趣大形絵図にしるし申候
2藤原直温