『蝦夷草紙』でアモル河と合流するとされる二筋の川の名。河口を北海に置く説明は現代のアムール水系と合わず、別水系の情報が混じった可能性がある。原文の関係を記録し、現代河川への比定は保留する。
名称の言語的由来は未確認。
用例(1件)
- 国文学研究資料館 · 112コマ・10行 · トロハンスコウシヤ
…ニ アモル ト云大河アリ此河ノ流レ末ニ至タリ オロシヤ国ニ入テ又トロハンスコウシヤ ト「レンコウシヤ」トノ二筋ト落合トモニ三流一集トナリテ コロヲタラハンイスコイ ノ北海ニ落ルナ…
えぞ そうし · Ezo sōshi · 最上徳内 · 1790 · 地誌 · 地名 · 集字 · 目録レコード
この資料に現れる固有名・語句と、各写本の出現箇所。
『蝦夷草紙』でアモル河と合流するとされる二筋の川の名。河口を北海に置く説明は現代のアムール水系と合わず、別水系の情報が混じった可能性がある。原文の関係を記録し、現代河川への比定は保留する。
名称の言語的由来は未確認。
…ニ アモル ト云大河アリ此河ノ流レ末ニ至タリ オロシヤ国ニ入テ又トロハンスコウシヤ ト「レンコウシヤ」トノ二筋ト落合トモニ三流一集トナリテ コロヲタラハンイスコイ ノ北海ニ落ルナ…
『蝦夷草紙』でアモル河と合流するとされる二筋の川の名。河口を北海に置く説明は現代のアムール水系と合わず、別水系の情報が混じった可能性がある。原文の関係を記録し、現代河川への比定は保留する。
名称の言語的由来は未確認。
…此河ノ流レ末ニ至タリ オロシヤ国ニ入テ又トロハンスコウシヤ ト「レンコウシヤ」トノ二筋ト落合トモニ三流一集トナリテ コロヲタラハンイスコイ ノ北海ニ落ルナリ前章ノ北髙海沖中…
『蝦夷草紙』で複数の川の流出先として記される地域名。アルハンゲリスク系の音写と似るが、『蝦夷草紙』のアムール河に関する説明と整合しない。語形の比定と記事の地理的正確さを分けて検討する。
名称の言語的由来は未確認。
…ウシヤ ト「レンコウシヤ」トノ二筋ト落合トモニ三流一集トナリテ コロヲタラハンイスコイ ノ北海ニ落ルナリ前章ノ北髙海沖中ニ至レハ北極出地六十六七度以上ノ滄海ニテ夏中ト云ヘ𪜈氷海ナレハ…
『蝦夷草紙』が蝦夷地の島々の東側の海に付ける名称。西側の海ヘンシユンモヲンヨウと対で記す。ロシア語の方位・海域表現の音写とみられるが、現代の正式海名への対応は未確定。
名称の言語的由来は未確認。
…保年間ニ其盟アリテヨリ今ニ至テ然リ此北ヨリ東蝦夷地島々ノ東海ヲ「セイウアルヲヽストシウヱト名ケ西海ヲ ヘンシユンモヲンヨウ ト名ケタリ其以後官船渉来シテ開業ヲナスヿ盛ナリ此ヘンシユンモ…
『蝦夷草紙』で蝦夷地の島々の西側の海を表す名称。ロシア船の往来や大河の流出の記事を伴う。カムチャツカ・オホーツク方面の文脈に現れるが、表記からはどの海域かは決められない。
名称の言語的由来は未確認。
…ヨリ東蝦夷地島々ノ東海ヲ「セイウアルヲヽストシウヱト名ケ西海ヲ ヘンシユンモヲンヨウ ト名ケタリ其以後官船渉来シテ開業ヲナスヿ盛ナリ此ヘンシユンモヲンヨウ」ヘ落来ル大河アリ此落口ハ…
…ユンモヲンヨウ ト名ケタリ其以後官船渉来シテ開業ヲナスヿ盛ナリ此ヘンシユンモヲンヨウ」ヘ落来ル大河アリ此落口ハ大湊ニテ ヲホツカ ト云日本享保年間ニ奥州南部佐井村ノ商人竹内徳兵衛ト…
本文の表記 セレホンスコイ · セレホレツユイ
『蝦夷草紙』がカムチャツカとオホーツクの間の沿岸に置く地名。アウスという人物が左遷され、のちに船で逃れたという物語の舞台。ベニョフスキーに関わる漂流・脱出譚との照合対象だが、地名の字形は未確定。
名称の言語的由来は未確認。
…漂着セシ所ナリ前章ニ詳ナリ扨カムサスカ」ト ヲホツカ ノ間浜辺ニセレホンスコイ」セカアフカ」ト云所アリ此所ニ開業ノ命令ヲ受住居セル左遷ノ官人ニ アウス ト云者アリシカ赤人ノ王…
…勢戦ヒ破レテ大将アウス虜トナリテ日本属島蝦夷ノ北方海上遥ニ隔テ「セレホレツユイセカアフカ」ニ左遷セリ此時ヨリ「ホリシヤ国ト「キホンノマヽエフ国ノ二ヶ所国「ヲロシヤ国ニ伏従セリ…
本文の表記 セカアフカ · セアカツカ
『蝦夷草紙』がカムチャツカとオホーツクの間の沿岸に置く地名。アウスという人物が左遷され、のちに船で逃れたという物語の舞台。ベニョフスキーに関わる漂流・脱出譚との照合対象だが、地名の字形は未確定。
名称の言語的由来は未確認。
…章ニ詳ナリ扨カムサスカ」ト ヲホツカ ノ間浜辺ニセレホンスコイ」セカアフカ」ト云所アリ此所ニ開業ノ命令ヲ受住居セル左遷ノ官人ニ アウス ト云者アリシカ赤人ノ王都ニ運送ノ租…
…ト云者アリシカ赤人ノ王都ニ運送ノ租税ノ産物ヲ積タル官舶渉海シテ此セカアフカ」ノ泊ニ碇宿セリ然ルニ彼ヨウス謀計ヲ得テ狼藉ニ及ヒ理不尽ニ此官舶ヲ奪取リ直ニ此港ヲ開帆シテ東蝦夷…
…ハマウクツアテクルハンヘンコロト云者ナリト云ヘリ是「アウス」也 セアカツカ ノ港ニ於テ赤人国ノ官船ヲ奪シトキハ其舶頭イツコイロフ」バセロウフ」トテ二人乗り居タリシカ イツ…
…将アウス虜トナリテ日本属島蝦夷ノ北方海上遥ニ隔テ「セレホレツユイセカアフカ」ニ左遷セリ此時ヨリ「ホリシヤ国ト「キホンノマヽエフ国ノ二ヶ所国「ヲロシヤ国ニ伏従セリト云リ当今…
『蝦夷草紙』でアウスの船が南洋を回った後に着いたとするヨーロッパの国・港。続いて本国トイチへ帰ったと語られる。冒険譚の伝聞に属し、現代の国名は確定していない。
名称の言語的由来は未確認。
…ヲ開帆シ南洋ニ渉海シ印度ノ南洋ヲ渉海シ西洋ヲモ渉海シ欧羅巴州ノ内ハラノイ」ト云国ニ着舶シテ本国「トイチ」ニ帰リタリト云リ明和八卯年異国船奥州灘ヲ渉海シ上総国ノ鼻ヲ漂流シ…
関東(かんとう)。この『蝦夷草紙』では長崎奉行から報告を届ける先、すなわち江戸の幕府を指す用法。政治的な宛先を表す。
名称の言語的由来は未確認。
…リ書簡ヲアツラヘタルニヨリ持来リ其時ノ長崎奉行何某是ヲ受テ此旨ヲ関東ニ達シ令命アリ通詞何某翻訳スレハ阿波国主ヘ礼章ナリ舶頭ノ名ハマウクツアテクルハンヘンコロト云者ナ…
フランス。西ヨーロッパの国で、『蝦夷草紙』ではアウスと呼ばれる人物が援助を求めた先として語られる。人物の冒険譚を含む伝聞記事の中の国名。
名称の言語的由来は未確認。
…程地里方位等猶々委細ニ知リタルト見ユ又 アウス ハ今ニ存生ニテ フランス国ノ「アテリイン ト云処ノ国王ニ扶助セラン世ノ変ヲ伺フト云リ予例年長崎渡来ノ阿蘭陀舶師「ノイテ国…
『蝦夷草紙』でフランスのうちにあると記され、アウスがその国王の援助を受けたとされる名称。人物の伝聞記事に現れるが、都市・地域・人名のどの音写かを含めて再検討が必要。
名称の言語的由来は未確認。
…々委細ニ知リタルト見ユ又 アウス ハ今ニ存生ニテ フランス国ノ「アテリイン ト云処ノ国王ニ扶助セラン世ノ変ヲ伺フト云リ予例年長崎渡来ノ阿蘭陀舶師「ノイテ国ヨリ送リタル地図…
『蝦夷草紙』でホリシヤとともにロシアへ従属したとされる国名の音写。王家・王国についての複雑な伝聞に属する。語形と歴史的な国の対応は確定していない。
名称の言語的由来は未確認。
…テ「セレホレツユイセカアフカ」ニ左遷セリ此時ヨリ「ホリシヤ国ト「キホンノマヽエフ国ノ二ヶ所国「ヲロシヤ国ニ伏従セリト云リ当今帝ハ「バアリヨヘヲーロイシユ天明丙午年三十二此父帝ヘ…
『蝦夷草紙』で樺太沿岸の船旅の距離を数える起点として記される。シラヌシ名の異形が候補だが、『蝦夷草紙』の綴りを保持する。ナヨロウまで約二十日の舟路とする記事に現れる。
名称の言語的由来は未確認。
…渓間曠キヿト見ヘタリ此河ノ海ノ落口ハ大船ノ泊ニモ宜シカルヘシ同島シラスン」ヨリ此処マテ海上掻キ漕キ送リ凡二十日程ノ舟路ナリ其道法三百里ニ及フハシ此ナヨロウ」ヨリ一日路西…
『蝦夷草紙』の樺太漂流記に現れる村。徳五郎らが長く海岸を歩いた末に九月十八日に着き、雪が降り始めたとする帰還の目印。シラヌシの表記差の可能性があるが、引用記録の字形を尊重する。
名称の言語的由来は未確認。
…ヘシト思ヒ夫ヨリ十八日ヲ歴ラ人里アリ此時九月十八日ナリ此処蝦夷地シヲヌシ」ト云村也此節スクニ雪降リタリト見ヘタリ予窃ニ考ルニ カラフト島ノ内「タライカイ ヲツチシ」ノ間…
樺太の名好(なよし)方面に対応する歴史的地名。『蝦夷草紙』ではシラヌシから海岸を進み、対岸やヲホトマリとの位置関係を説明する地点として現れる。『蝦夷草紙』の方位が現代の地図と合うかは未確認。
名称の言語的由来は未確認。
…ノ内 シラタヌシ ト云処ニ至ル此 シラヌシ ヨリ西ニ乗リ同島ノ内ナヨシ」ト云処ニ至ル此処ノ沖中ニ海上六七里ヲ隔ツト云リ又 ナヨシ ヨリ西ニ磯辺伝ヒニ乗リテ ヲハトマリ…
…島ノ内ナヨシ」ト云処ニ至ル此処ノ沖中ニ海上六七里ヲ隔ツト云リ又 ナヨシ ヨリ西ニ磯辺伝ヒニ乗リテ ヲハトマリ ト云処ニ至ル此処ハ左右ニ山崎ノ峡アリテ風波モ凌キ易キ処ニ…
本文の表記 ヲハトマリ · ヲホトマリ
『蝦夷草紙』の樺太西岸の泊地。本文の行程ではナヨシの次、ナヨロの前に置かれ、両側に山の岬があって岸まで深く、風波を避けやすい港と説明される。本文は画像118行4でヲハトマリ、同画像行7と画像120行19でヲホトマリと記す。日本領期の広地村大穂泊(おほとまり、別読みおはとまり、旧名オハトマリ。現ズィリャーンスカイェ、北緯46.90度・東経141.99度)に対応する。ハとホの両形がそれぞれ別に記録されており、写し誤りではなく表記の揺れとみられる。
tomari は泊地。前部は本文の「涯端マテ深クシテ」の説明に合う oho「深い」(樺太方言 ohó/ooho、服部(1964))と、別読みおはとまりに合う oha「空の」の両方が考えられ、どちらとも決めない。
…中ニ海上六七里ヲ隔ツト云リ又 ナヨシ ヨリ西ニ磯辺伝ヒニ乗リテ ヲハトマリ ト云処ニ至ル此処ハ左右ニ山崎ノ峡アリテ風波モ凌キ易キ処ニテ涯端マテ深クシテ湊トモ云フベキ処ニテ…
…リテ風波モ凌キ易キ処ニテ涯端マテ深クシテ湊トモ云フベキ処ニテ又此ヲホトマリ西ニ磯辺伝ヒニ乗リ「ナヨロト云所アリ此処ハ涯ハ遠浅ニ浜辺沙地ニテ丘陵ハ平カナリ此処ハ大河アリ蝦夷…
…事天明丙午年 世禄 人 大石逸平ト云者予カ旧友ニテカラフト島ノ ヲホトマリ ト云処ニ至リシトキニ山丹人此処ニ渉海セリ其中ニ頭タル者三人アリ其人ノ名ヒヤンコ」ト云此者ハ満州…
本文の表記 ナヨロ · ナヨロウ
『蝦夷草紙』では樺太にある、遠浅の砂浜と平らな丘陵・大河を持つ土地。北海道の名寄市とは島が異なる。川の遡航と近隣のクスリナイを記す『蝦夷草紙』の関係から比定すべき名称。
名称の言語的由来は未確認。
…テ深クシテ湊トモ云フベキ処ニテ又此ヲホトマリ西ニ磯辺伝ヒニ乗リ「ナヨロト云所アリ此処ハ涯ハ遠浅ニ浜辺沙地ニテ丘陵ハ平カナリ此処ハ大河アリ蝦夷舟ニ乗リ河上ニ遡ルヿ数日ノ…
…マテ海上掻キ漕キ送リ凡二十日程ノ舟路ナリ其道法三百里ニ及フハシ此ナヨロウ」ヨリ一日路西ニ乗リ「クスリナイト云所アリ此所一河アリ河上ヘ一日路ヲ乗リテ大ナル池アリ毎年冬ニ至…
…ニ至ル此所蝦夷土人モ多ク山丹土人モ渡海シ此処ニ来リテ滞留スルト云ナヨロウ」ヨリ此ラツケシ」ニテ舟路凡十日程海上凡一百余里ナリ是ヨリ西北一日路ノ乗船ニテ ナヨロウ ト云処…
…」ニテ舟路凡十日程海上凡一百余里ナリ是ヨリ西北一日路ノ乗船ニテ ナヨロウ ト云処アリ此処ハ山丹国ヘ渡海場ニテ海上凡十里ヲ隔ツ此瀬戸冬中ニ至レハ堅氷張リテ陸地ノ如ク此期ニ…
…及諸産及ヒ人物等ノ検査ノ為渡海セリ浜辺ツタイニ段々ト巡検スルニ「ナヨロ村ニ至ル所ノ乙名 ヤエンコロアイ ト云此者ノ父ノ名ヤウチウライ」ト云シカ死去シテ忰「ヤエンコロア…
『蝦夷草紙』の樺太の河川・集落名。川を遡ると大きな池があり、冬は湖面の氷を渡り山を越えてタライカイへ近道するという。夏の水路と冬の陸路を結ぶ地点。
名称の言語的由来は未確認。
…ノ舟路ナリ其道法三百里ニ及フハシ此ナヨロウ」ヨリ一日路西ニ乗リ「クスリナイト云所アリ此所一河アリ河上ヘ一日路ヲ乗リテ大ナル池アリ毎年冬ニ至レハ堅氷張リテ陸地ノ如ク此期ヲ伺…
…越シ同島西島西北ノ地「タライカイ」ト云所ニ至ルト云是近道故ナリ北クスリナイ」ヨリ西北ノ方ニ乗リ アニアラツケ ト云所ニ至ル此所蝦夷土人モ多ク山丹土人モ渡海シ此処ニ来リテ滞…
本文の表記 タライカイ · クライカイ
樺太の多来加方面に対応する地名。『蝦夷草紙』では内陸からの冬道の目的地、住民が多く繁昌する地域として記される。『蝦夷草紙』の東西・南北の説明には再確認が必要な点がある。
名称の言語的由来は未確認。
…ノ如ク此期ヲ伺ヒ堅氷ノ上ヲ渡リ山ノ数峯ヲ歩越シ同島西島西北ノ地「タライカイ」ト云所ニ至ルト云是近道故ナリ北クスリナイ」ヨリ西北ノ方ニ乗リ アニアラツケ ト云所ニ至ル此所蝦…
…ヨリ此辺迄蝦夷土人多ク徘徊シ産業ニ力ヲ尽スト云リ又同嶋西北ノ地「タライカイト云処ナリ西北第一ノ繁昌ノ地ニテ是ヨリ山奥ニ ヲクカタ ト云処アリ此処ニ エゾ 土人多ク住居スル…
…地ニ稀ナル山中ニ村民有ハ日請ヨク土産ヨク土地ヨキ処ト知ラレタリ又クライカイ」ヨリ西ヲフケシニ至ルマテ蝦夷人住居モ至テ多シ因テ通路ノ土人モ少ク故ニ産物モ出ストイヘリ此辺ヲ北…
…村也此節スクニ雪降リタリト見ヘタリ予窃ニ考ルニ カラフト島ノ内「タライカイ ヲツチシ」ノ間ニ漂着セシト思ハルヽ也此等ヲ察シ日本舶師ノ未熟ヲ推量スヘシ嶋ノ広大ナルヿヲ思フヘ…
『蝦夷草紙』で樺太のクスリナイから進んだ先にあるとする地域。アイヌの住民に加え山丹から来た人々が滞在すると記され、島と大陸の交易の接点として現れる。
名称の言語的由来は未確認。
…」ト云所ニ至ルト云是近道故ナリ北クスリナイ」ヨリ西北ノ方ニ乗リ アニアラツケ ト云所ニ至ル此所蝦夷土人モ多ク山丹土人モ渡海シ此処ニ来リテ滞留スルト云ナヨロウ」ヨリ此ラツケシ…
『蝦夷草紙』がシラヌシから沿岸に続く地域をまとめて呼ぶ名。樺太西側の地域呼称で、村・河川・冬の橇道などを一連の地理として説明するために使われる。
名称の言語的由来は未確認。
…此期ニ至レハ大ニ橇ヲ牽セテ通行スルナリ「シラヌシ」ヨリ此辺マテヲ西カラフト」ト云又シラヌシヨリ東ハ ウル ト云処ニ大河アリ此河上ニ池アリテ蝦夷舟ニテ土人渡海シテ運送ヲ達ス…
『蝦夷草紙』の樺太の地域区分。タライカイ・ヲフケシ方面の記事をまとめる呼称として現れる。『蝦夷草紙』の方位認識を含むため、後世の北緯50度線による北樺太の区分に直結させない。
名称の言語的由来は未確認。
…人住居モ至テ多シ因テ通路ノ土人モ少ク故ニ産物モ出ストイヘリ此辺ヲ北カラフト」ト云扨又此島ノ風土ハ松前所在島ノ気矦ニ等シキ土地ナリト云リ北極出地四十六度ヨリ四十八九度ニ至ル…
『蝦夷草紙』で樺太の川・湖による物資運送を説明する際に現れる地名。シレトヲの南西側とされる位置関係が手掛かりとなるが、現代地名との対応は未確定。
名称の言語的由来は未確認。
…河アリ此河上ニ池アリテ蝦夷舟ニテ土人渡海シテ運送ヲ達スト云ヘリ此ノシカマナイ」ノ東北ニ「シレトヲト云処アリ此処海岸ヨリ沖ヘ出タル山崎アリ「シラヌシ在ノ ノトロ ト云辺ヨリ此…
『蝦夷草紙』で樺太のノシカマナイの東北にある、海へ突き出た山の岬。語形はシレトコに似るが、北海道の知床岬とは別の島にある。
名称の言語的由来は未確認。
…夷舟ニテ土人渡海シテ運送ヲ達スト云ヘリ此ノシカマナイ」ノ東北ニ「シレトヲト云処アリ此処海岸ヨリ沖ヘ出タル山崎アリ「シラヌシ在ノ ノトロ ト云辺ヨリ此辺迄蝦夷土人多ク徘徊…
『蝦夷草紙』では樺太のシラヌシ付近にある地域として記される。能登呂方面の地名が候補で、シレトヲまで人々が往来して生業を営むとする。北海道の能取湖・岬との混同を避ける。
名称の言語的由来は未確認。
…シレトヲト云処アリ此処海岸ヨリ沖ヘ出タル山崎アリ「シラヌシ在ノ ノトロ ト云辺ヨリ此辺迄蝦夷土人多ク徘徊シ産業ニ力ヲ尽スト云リ又同嶋西北ノ地「タライカイト云処ナリ西北…
『蝦夷草紙』で樺太タライカイから山奥へ入った所にある大きな村。筆者は山中に人が多く住むことから日当り・産物・土地の良さを推測している。土地の評価は著者の推論。
名称の言語的由来は未確認。
…北ノ地「タライカイト云処ナリ西北第一ノ繁昌ノ地ニテ是ヨリ山奥ニ ヲクカタ ト云処アリ此処ニ エゾ 土人多ク住居スル大村アリ蝦夷地ニ稀ナル山中ニ村民有ハ日請ヨク土産ヨク土…
『蝦夷草紙』でタライカイから続く樺太の沿岸地域の端として現れる。北カラフトの範囲を説明する目印だが、原文は距離や精確な地形を示さない。
名称の言語的由来は未確認。
…民有ハ日請ヨク土産ヨク土地ヨキ処ト知ラレタリ又クライカイ」ヨリ西ヲフケシニ至ルマテ蝦夷人住居モ至テ多シ因テ通路ノ土人モ少ク故ニ産物モ出ストイヘリ此辺ヲ北カラフト」ト云扨…
『蝦夷草紙』で山丹の頭役キンタカの所在地として記される。満洲側から名前や役を与えられた人々を説明する文脈にあり、大陸の交易組織・地域の名として重要。
名称の言語的由来は未確認。
…小使ト云者ニテ役目ノ如シ其一人ハ キンタカ ト云者ニテ山丹ノ内 ソワン ト云所ノ頭役ナリ以上三人各満州国守ヨリ名ヲ玉ハリタリトイヘリ然レハ文字アルヘキ筈ナレ𪜈未タ文字…
『蝦夷草紙』で、山丹の人々が樺太から大陸へ渡る出発地。ここから海上一日、大陸の海辺・山道・大河を経る長い交易路が説明される。記された所要日は行程の伝聞。
名称の言語的由来は未確認。
…又山丹人ノ「カラフト」島ヨリ満州ヘ往返スルニハ「カラフト島ノ内 ナツカウ ヨリ海上一日ヲ渡リテ山丹国ニ着岸ス夫ヨリ海辺ヲ三日往キ山中ヲ八日行キ漸々広キ渓間ニ中レハ大河ア…
本文の表記 ヤウキクウン · ヤウヤクワン
『蝦夷草紙』でマンカウ河を長く遡った先にある満洲の関・交易地点。鉄鍋、銅鍋、船釘、獣皮などを交換する所として記される。現代のどの地に当たるかは不明。
名称の言語的由来は未確認。
…日路行ケハ「マンカウ」ト云大河ニ至ル此河ヲ凡三十日程遡リ満州ノ ヤウキクウン ト云関ニ至ル此所ニ於テ山丹共日本出産ノ鉄銅鍋船釘等ノ下金或ハ獺皮貂皮類ヲ持出テ交易シテ帰リ松前…
…前所在島ノ内「ソウヤ」マテ渉海シ又日本国ノ諸産ト交易スル也山丹人ヤウヤクワン」ニ至レハ門外ニ旅館アリテ是ニ滞留スル門内ニ入ルヿヲ制禁スルヿ至テ厳シ旅館ハ国王ヨリノ造作ナリト…
西宮(にしのみや)。摂津国、現在の兵庫県西宮市にあたる港の地域。『蝦夷草紙』では樺太へ漂着した船頭徳五郎の出身地として記される。
名称の言語的由来は未確認。
…日本人カラフト島ニ漂着之事松前家旧記漂着船ノ吟味留書ヲ見ルニ摂州西ノ宮ノ船頭徳五郎ト云者難風ニ逢ヒ漂流シテカラフト島ニ漂着ス時ニ宝暦十二年六月廿一日ナリ船頭徳五郎何ク…
『蝦夷草紙』で樺太のタライカイと並べ、徳五郎らの漂着地点を推測するために使う名。筆者はこの二地点の間に流れ着いたのだろうと考えており、漂流者自身が確定した上陸地点ではない。
名称の言語的由来は未確認。
…ニ雪降リタリト見ヘタリ予窃ニ考ルニ カラフト島ノ内「タライカイ ヲツチシ」ノ間ニ漂着セシト思ハルヽ也此等ヲ察シ日本舶師ノ未熟ヲ推量スヘシ嶋ノ広大ナルヿヲ思フヘシ扨又天明…
本文の表記 最上徳内常矩 · 最上徳内
最上徳内(もがみとくない、1754–1836)。常矩(つねのり)は名。幕府の蝦夷地調査に参加し、択捉・得撫・樺太などを訪れた。『蝦夷草紙』の著者で、『蝦夷草紙』中では自らの調査やアイヌ語の知識に関わる。
…悠然緩々トシテ遊ヒ戯レ月日ヲ送ル也是蝦夷一同ノ風俗也白紙蝦夷草紙最上徳内常矩著松前総論松前ヨリ西ノ方ニ日本道凡三十里許リニシテ見市ト云村アリ此所ニ代々岩之助 古ハ蝦夷人 ニ…
…フニ撿校一ツノ書ヲ出シテ見セシム蝦夷草紙ト題セリ披ヒテ是ヲ見ルニ最上徳内ノ著所ニシテ頗ル珍書ナリ然レトモ書写悪クシテ或ハ衍語アリ或ハ落書アリ又文字ノ訛リ幾多シ先請テ借得…
…して遊ひ月日を送るなり是蝦夷一同の風俗なり以上十五則白紙蝦夷草紙最上徳内常矩著松前総論一松前より西の方に日本道凡三十里計りにして見市といふ村有此所に代々岩之助 古は蝦夷人に…
…時具に尋問せし処也其説あれとも爰に略す蝦夷草紙上終白紙蝦夷草紙中最上徳内常矩著大河の事一曠き地には大河あり狭き地には大河有事なし日本の西海道に大河なく東山道に大河多し爰を以…
…開業成就の上は繁昌の土地ともなるへき所なり蝦夷草紙中終蝦夷草紙下最上徳内常矩著妻妾の事一蝦夷地は都て妻をマチ妾をウツシマチといふ東蝦夷地クナシリノ島の脇乙名にツキノイトいふ…
本文の表記 岩之助 · イワシノシケ
見市村の百姓として『蝦夷草紙』に記される名。『蝦夷草紙』は代々この名を用い、古くはアイヌの乙名で「イワシノシケ」と称したと説明する。季節に応じた髪形や松前での慣行を語る箇所に登場する。
…松前ヨリ西ノ方ニ日本道凡三十里許リニシテ見市ト云村アリ此所ニ代々岩之助 古ハ蝦夷人 ニシテ真名 イワシノシケ 云フテ即乙名也 ト云百姓アリ平日ハ日本ノ野郎鬢ナレ𪜈冬…
…ニシテ見市ト云村アリ此所ニ代々岩之助 古ハ蝦夷人 ニシテ真名 イワシノシケ 云フテ即乙名也 ト云百姓アリ平日ハ日本ノ野郎鬢ナレ𪜈冬ニナレハ月代ヲ剃ラス蝦夷ノ体ニナツテ正月…
…松前より西の方に日本道凡三十里計りにして見市といふ村有此所に代々岩之助 古は蝦夷人にて其名イハンノ シケといふて則乙名なり といふ百姓有平日は日本の野郎鬢なれとも冬な…
津軽領宇鉄村の猟師。松前領主の船が三馬屋へ無事に着岸した際、狼煙を上げて松前側に知らせる定役を担ったと『蝦夷草紙』に記される。
…テ津軽三馬屋ノ泊リニ渡リ到ル海上無事ニ着岸アレハ津軽領ノ宇鉄村ノ清八ト云猟師ノ定役ニテ狼煙ヲ揚ル海上無事ニ着岸アリト其験ヲ松前ノ方ヘ告ケ知ラレムル相図ナリ松前ノ白上…
…ノ好ミニ因テカ津軽ノ領主ニモ兼テ用意アルヿナリ松前領主ヨリハ猟師清八ヘ青指二貫文褒美トシテ賜ル也私大ト云事松前ニ私大ト云ヿアリ津軽外ヶ浜ト松前ノ瀬戸ハ冬中ハ風烈シク…
…して津軽三馬屋の泊に渉りいたる海上無事に着岸あれは津軽領の宇鉄村清八と云猟師の定役にて狼煙を揚て海上無事に着岸ありたる其験を松前へ告知らしむる相図也松前の白上に此狼…
…国の好みに仍て歟津軽の領主に而も兼て用意有事也松前領主よりは猟師清八へ青さし弐貫文褒美としてたまわるなり私大といふ事一松前に私大といふ事あり津軽外ヶ浜と松前の瀬戸は…
松前の富裕な町人として『蝦夷草紙』に登場する人物。著者が三ッ名で会い、元旦の日中が暗くなった現象と、それに対するアイヌの反応について尋ねられる。
…発足シテ蝦夷地ニ趣シニ三ッ名ト云処ニ至レハ松前ノ町人大豪富ノ者ニ阿部屋伝吉ト云者居タリシカ問曰当年元旦ノ昼頃天俄ニ曇リ闇ノ如クニナリタリ因テ蝦夷ノ土人共大キニ騒キウタケト…
…発足して蝦夷地に趣きしに三石といふ所に至れは松前の町人大豪の者に阿部屋伝吉といふもの居たりしか問て曰当年元旦の昼頃天俄に曇り闇のことくになりたり依て蝦夷人とも大に騒きヘラ…
『蝦夷草紙』が松前の長臣とする人物。領内への人口流入や百姓家の増加を制限する方針について、著者へ語った証言者として登場する。
…不定ナレハ旡恙ノ人松前ニ滞留スレハ国産ヲ費シテ悪シト云リ彼ノ長臣中島甚兵衛ト云者予ニ語リタリ殊ニ百姓家ノ増殖スルヲ厳シク停止ノ由毎年ケ様ノ義ヲ触流セトモ兎角ニ百姓家数モ増…
…は猟業稼等も不足なれは無益人松前に国産を費して悪しといへり彼長臣中島甚兵衛といふ者予に語りたり殊に百姓家の増殖するを厳敷停止の由なり箇様の儀を触流せ共兎角に百姓家数も増益…
寛政元年(1789)七月、物価や商人の応対について著者とともに話を聞いた人物として『蝦夷草紙』に記される。同じ写本の別の箇所には常陸屋五右衛門という名が現れるが、同一人物かは不明。
…モ高直ニナリ止ヿナキヨシ委細ノ物語リ天明九年ノ寛政元年己酉年七月常盤屋五左衛門ト予其挨拶ニ辟易イタシケリ鯡漁ヲ占フ事松前ニテ毎年節分ニ打タル砂豆ヲ貯置正月十五日ノ夜炉ノ内灰ノ…
…も高直になり止事なきよし委細の物語なり天明九年の寛政元年己酉七月常盤屋五左衛門と予其挨拶に辟易致けり鯡魚を占ふ事一松前にて毎年節分に打たる砂豆を貯置正月十五日の夜炉の内灰の上…
江戸の町人。寛政元年(1789)、長崎俵物御用を名目に著者と蝦夷地を往復し、松前で滞在したと『蝦夷草紙』に記される。同じ写本の別の箇所に常盤屋五左衛門という名も現れるが、同人かは確定していない。
…ナルヿヲ見テ大ニ辟易シタルナリ物ヲ問フ事寛政元己酉年七月江戸町人常陸屋五右衛門ト云者ト伴ヒ長崎俵物御用ト号シ蝦夷地マテ往返シテ松前ニ帰着シ滞留セシニ同年ノ夏東蝦夷地ニ騒動アリ…
…の雄なる事を見て大に辟易したり物を問事一寛政元己酉年七月江戸町人常陸屋五右衛門と言者と伴ひ長崎俵物御用と号し蝦夷地にて往返して松前に帰着し滞留せしに同年の夏東蝦夷地に騒動あり…
大野村の百姓で、著者が旅宿した家の主人。荒起を重視する耕作法について質問に答える。『蝦夷草紙』の写本間で「若林茂兵衛」「荒林儀兵衛」と人名表記が異なる。
…家ハ皆猟業ヲ専務トスレ𪜈前件ノ村々ハ耕作ヲ第一ノ業トス予大野村ノ若林茂兵衛ト云百姓ノ家ニ旅宿セシトキニ耕作ノヿヲ尋テ聞ニ荒起ヲ重トスルト云予問曰荒起トハ何ノヿナルヤトイヘ…
『蝦夷草紙』が代官と記す人物。羽州村山郡の本根林を開墾させた事例に登場する。新開地で初年の穀物が実らなかった経験が、土壌や耕作法の議論に用いられる。
…民ノ惰弱ハ歴世ノ常ナリ未開ノ土地ノ時勢ナルヘシ新発田畑ノ事御代官力石萩之進ト云シ人ノ羽州村山郡本根林ト云松原ヲ新開サセシトキニ初年ハ田畑共ニ穀実稔ラス翌年百姓共心力ヲ尽セ…
…の惰弱は世の常也是は未開の土地の時勢なるへし新開田畑の事一御代官力石萩之進といひし人の羽州村山郡東根林といふ松原を新開せし時に初年田畑ともに穀実稔らす翌年百姓とも心力を尽…
本文の表記 俊明廟 · 浚明廟
浚明院(しゅんみょういん)の廟号で呼ばれる徳川家治(とくがわいえはる、1737–1786)、江戸幕府第10代将軍。『蝦夷草紙』では幕府による北方調査の政治的背景に関わる。
…其外何ニテモ相応ニ出産スルナリ当時ニテモ米ヲ植蒔セサルノミナリ僕俊明廟ノ御時奥蝦夷地ニ通路セシトキニ アツケシ ニ到ル松前ヨリ東北ニ当テ二百余里ニアリ此 アツケシ 運…
…ト思ハル因テ彼島ノ水ノ味ヒヲ思ヒヤリテ推量セシ処ナリオムシヤノ事俊明廟ノ御時ニ蝦夷国界ノ見分御用トシテ有司両輩蝦夷地ヘ巡行ス既ニ「クナシリ島ニ至リシニ蝦夷ノ習ニテヲム…
…荏種其外何に而も相応に出産する也当時にて米を植蒔せさるのみなり予浚明廟の御時に奥蝦夷地へ通路せしときにアツケシにいたる松前より東北に当りて二百余里にあり此アツケシ運上…
…たると思はるゝ因て彼島の水の味ひをやりて推量せし也おむしやの事一俊明廟の御時に蝦夷国界の見分論用として有司両輩東蝦夷地へ巡行す既にクナシリ嶋に至りしにゑその習にてヲン…
本文の表記 イレユヨ · イシエヨ · イシユヨ · シメニシトロヘイイシユ · イユヲ · シメヲントロヘイジユイジユヨ
『蝦夷草紙』の著者が面会し、ロシアの地理や制度を尋ねたロシア人。音写には写本内外の異同があり、「イシユヨ」を役職相当と解する『蝦夷草紙』の説明もあるため、文字列全体を現代の姓名と同じ構造とは見なせない。
…分ラサル土地ナリトイヘ𪜈魯西亜ノ人ニテシソ ヲントロヘ イシユイレユヨ ニ面会セシトキ具ニ尋問セシ所ナリ其説アレトモ此ニ略ス大河ノ事広キ地国ニハ大河アリ狭キ地ニ小河多…
…𪜈時ヲ得サレハ是非ノ議論ナシ庶幾ハ今一度「エトロウ嶋ヘ渉海シテ彼イシエヨ今ニ滞留セシト聞ケレハ対面シテ五ヶ年以前ノ様子𪜈ノ糾シ聞南北亜墨利加ヘ渉海セシ彼九艘ノ大舶共ノ安…
…様子𪜈ノ糾シ聞南北亜墨利加ヘ渉海セシ彼九艘ノ大舶共ノ安否ハ定メテイシエヨ」ヘ「ヲホツカノ役者ヨリ通レタルヘキナレハヨク糾シ日本ノ瑕瑾ニ成ルヘキヿハ兼テ其意ヲ得テ持タキハ…
…品ハ日本ヨリ返サレタリトテ此不調法ニヨリテ刑ニ行ハレタリト予ニ「イレユヨ語リタリ天度ノ里数ノ事吾朝先哲ノ説ヲ見ルニ天ノ一度ヲ以テ地球ニ引当テ見レハ凡四十余里ト見ヘタリ又…
…ケ開国ノ草創ノ功ヲ立ルト見ヘタリ既ニ予ト同宿セシ シメヲントユヘイシエヨ ハ天明五乙巳年ウルツフ島ニ赤人ノ大船一艘渉海ノ乗組七十人ノ内 イシユヨ 主従三人ノコリ今ニ「ヱ…
… ハ天明五乙巳年ウルツフ島ニ赤人ノ大船一艘渉海ノ乗組七十人ノ内 イシユヨ 主従三人ノコリ今ニ「ヱトロウ」島ノ内ホンモイノ」乙名 ルリシイジユヨ (脱)ニテ滞留セリ此事松…
…ヘキ旨ヲ下知セシトキニ乙名 ルリシイ 令命ヲ赤人ニ伝ヘケレハ赤人イシユヨ答曰某ハ本国ニ帰リ難キ子細アリト答フ帰国スレハ死刑ニ遇フ罪アリテ帰国ハナリカタシ然ルヲ此度追戻ス…
…立帰ルヘキ旨ヲ云渡タリ此二人ノ本国ト性名左ノ如シイタノツユイ之書シメニシトロヘイイシユイシユヨソヨウ午三十一歳ヲホツカノ大港ノ者イワンウヱンユーインユサスノスコイ午二十八歳イシユヨ」…
…此二人ノ本国ト性名左ノ如シイタノツユイ之書シメニシトロヘイイシユイシユヨソヨウ午三十一歳ヲホツカノ大港ノ者イワンウヱンユーインユサスノスコイ午二十八歳イシユヨ」ハ重役ノ…
…歳ヲホツカノ大港ノ者イワンウヱンユーインユサスノスコイ午二十八歳イシユヨ」ハ重役ノ者 サスノスコイ ハ次役ノ者ト見ヘタリ前章ノ令命ヲ聞テ両人本国ヘ立帰ルヘキ旨ヲ受テ「エ…
…ニシテ返ス言ノ葉モナク只黙々トシテモライ泪ニムセビケリ然ニ今ニ「イシユヨハ」エトロウ」ニ住居セリ又サスノスコイ」ハ本国ニ帰リタルカ今ハ「ヱトロウ島ニ居サル也是ヨリ諮ニ惟…
…北極ヨリ南極ノ両直下ニ一廻リ帯タル大国アリ此国ニ渉海シテト云フ「イシユヨ予ニ具ニ咄シタリ先ツ初ニハ大船三艘ニテ出帆セシカ其国海上ヲ隔ツヿ遠キ故ニカ渉海ニ滞リテヨリ オホ…
…カヒヤウヲウラヒヤ」ト云「ヲロシヤ」国ノ書籍ヨリ出タリ予此書ヲ イシユヨ ニ読セテ註訳セル所ナリ至ラザル地ナレハ徹信セサレ𪜈爰ニ記シテ後ノ革路ニ備フ異国舶漂着ノ事カムサ…
…テ本国ニ僕マテ揃ヘテ帰国スルヿ英雄ナリトテ是モ褒美ヲ玉リタリト「イシユヨ具ニ語リタリ彼国法ハ国家ニ大業ヲ立ルトキハ小罪ハ免許アルト云リ扨又日本阿波国ニテハ漂流舶ノヨフニ…
…ハ未タ属セスト其勢ヒ破竹ノ如シト云説ヲ聞テヨリ不審カリシカ予彼 イシユヨ ニ対面シテ其説ノ真疑ヲ正スニ符節ヲ合セタルカ如クシテ疑惑氷ノ如ク解シタリケリ扨 ハセロウフハア…
…計略ナレハ所々ニ於テ測量セシヿ風説考ニモ見ヘタレハ猶モ念入リテ イユヲ ニ尋ルニ是又符節ヲ合セタルカ如シ是皆 ハセロウラ ト「アウス」カ俊傑ニヨル所ナリ其以後赤人共東…
…の地迄一体の地続なり未た到らさる土地なりといへとも魯斎亜の人にてシメヲントロヘイジユイジユヨに面会せし時具に尋問せし処也其説あれとも爰に略す蝦夷草紙上終白紙蝦夷草紙中最上徳内常矩著大河の事…
オホーツクの港の出身と記されるロシア人。『蝦夷草紙』は天明丙午年に二十八歳とし、シメヲンらとともに地理・制度の聞取りの相手として挙げる。音写には姓名と役職の切れ目が不明な部分がある。
…シメニシトロヘイイシユイシユヨソヨウ午三十一歳ヲホツカノ大港ノ者イワンウヱンユーインユサスノスコイ午二十八歳イシユヨ」ハ重役ノ者 サスノスコイ ハ次役ノ者ト見ヘタリ前章ノ令命ヲ聞テ両…
本文の表記 サスノヌコイ · サスノスコイ
『蝦夷草紙』でロシア人の呼称に用いられる音写。『蝦夷草紙』はこれを「次役」のような役目と推測する一方、説明者の略称にも用いる。独立した姓名であるか、役職名を含むかは確定していない。
…鴨ヲ捕ルヿ夥シトイヘリ彼国冬中ノ食用ノ糧トスルヿナリ此説インユヨサスノヌコイ共ニ物語セリ勝右ヱ門カ漂流ノ事奥州南部佐井村ノ者ニテ竹内徳兵衛ト云者アリ此者ノ下船ニ水主乗組都合…
…テ南方ニ針路ヲ求メ船ヲ出シ行衛シラスニナリタリト予ニ インユヨ サスノスコイ」ノ両人物語リセシナレ𪜈是ニ深キ故アルヿト思ハルヽ彼大船蝦夷日本ノ地ニ趣シニ西蝦夷カラフト島ニ着…
…イシユヨソヨウ午三十一歳ヲホツカノ大港ノ者イワンウヱンユーインユサスノスコイ午二十八歳イシユヨ」ハ重役ノ者 サスノスコイ ハ次役ノ者ト見ヘタリ前章ノ令命ヲ聞テ両人本国ヘ立帰…
…ワンウヱンユーインユサスノスコイ午二十八歳イシユヨ」ハ重役ノ者 サスノスコイ ハ次役ノ者ト見ヘタリ前章ノ令命ヲ聞テ両人本国ヘ立帰ルヘキ旨ヲ受テ「エトロウ島ヘ立戻ルトキニ予同…
…モライ泪ニムセビケリ然ニ今ニ「イシユヨハ」エトロウ」ニ住居セリ又サスノスコイ」ハ本国ニ帰リタルカ今ハ「ヱトロウ島ニ居サル也是ヨリ諮ニ惟ン見ルニ ヲホツカ ノ港ヨリ魯西亜国ヲ…
厚岸の小使として『蝦夷草紙』に登場するアイヌの人物。松前で酒を振る舞う場面に、周辺地域の乙名・脇乙名らとともに呼び出される。『蝦夷草紙』にはシモチノ等の形も見える。
…酒ヲ蝦夷ニ振舞フ土地ノ定例トス時ニ松前在島ノ内「アツケン」ノ小使シモチノ ワカマウ ノ乙名「シヨンコ及ヒ クナシリ 島近所島ノ乙名 サンキチ 脇乙名「キツノヘ」等ヲ呼…
…司松井茂兵衛許容セス是ニ因テ惣乙名 イコトイ ヲ始メ外乙名共小使シモチ」等打ヨリ集リ評議シケルハ通詞ノ業ハ蝦夷人共ヲ取扱ヒ道理ヲ以テ上ヘモ詫ヒ下ヘモ示スカ役目ナルヲ此…
…へ酒を振舞ふを蝦夷土地の定例とす時に松前所在島の内アツケシの小使シモチノツカモウの乙名シユシユ及ひクナシリ島の乙名サンキチ脇乙名ツキノエ等を呼出し此者共は何れもクナシ…
…有司松井茂兵衛許容せす是によつて惣乙名イコトイを初め外乙名共小使シモチ等より集り評議しけるは通詞の業は蝦夷人共を取扱ひ道理を上へも詑下へも示すか役目なるを此度通詞の難…
『蝦夷草紙』で乙名として酒宴に呼び出される人物。対応箇所の人名が国文研本ではシヨンコ、龍谷本ではシユシユと読まれている。所属の地名も写本によって異なる。
…ス時ニ松前在島ノ内「アツケン」ノ小使シモチノ ワカマウ ノ乙名「シヨンコ及ヒ クナシリ 島近所島ノ乙名 サンキチ 脇乙名「キツノヘ」等ヲ呼出シ此者共ハ何レモ「クナシリ嶋…
『蝦夷草紙』で国後島周辺の乙名として挙げられるアイヌの人物。松前での酒宴に、厚岸の小使や国後の脇乙名らとともに呼び出される。
…チノ ワカマウ ノ乙名「シヨンコ及ヒ クナシリ 島近所島ノ乙名 サンキチ 脇乙名「キツノヘ」等ヲ呼出シ此者共ハ何レモ「クナシリ嶋近所百余里隔タル所ノ海辺場所ノ重立タル蝦…
…アツケシの小使シモチノツカモウの乙名シユシユ及ひクナシリ島の乙名サンキチ脇乙名ツキノエ等を呼出し此者共は何れもクナシリ島近所百余里隔たる所の海辺場所の重立たる長蝦夷土人…
『蝦夷草紙』国文研本の酒宴の場面で、国後の脇乙名として記される人物。龍谷本の対応箇所にはツキノエとあり、人名の写本間異同として照合できる。
…乙名「シヨンコ及ヒ クナシリ 島近所島ノ乙名 サンキチ 脇乙名「キツノヘ」等ヲ呼出シ此者共ハ何レモ「クナシリ嶋近所百余里隔タル所ノ海辺場所ノ重立タル蝦夷人ノ長ナリ扨此者…
本文の表記 ツキノイ · ツキノエ
『蝦夷草紙』が国後島の脇乙名とする人物。妻妾が各地の家に住むという記述と、松前での酒宴に登場する。『蝦夷草紙』にはツキノイ等の表記もあり、国文研本の対応箇所のキツノヘとの関係が問題となる。
…妻ヲ マチ 妾ヲ ウワシマチ ト云東蝦夷地クナシリ島ノ脇乙名ニ ツキノイ ト云者アリ妻妾都合十八人アリ本妻ト妾トノ差別ナク諸所ニ家ヲ造リテ独身ニ住セ置ナリ或ハ五六里ヲ隔…
…住セ置ナリ或ハ五六里ヲ隔テ或ハ海上数十里ヲ隔タル島々ニモ置ナリ此ツキノイ」ニ限ラス富貴ナル蝦夷人ハ妻妾ヲ数多持ツハ土地ノ風俗ナリ或時「ツキノイ魚油干魚ヲ船ニ積テ「クナシ…
…イ」ニ限ラス富貴ナル蝦夷人ハ妻妾ヲ数多持ツハ土地ノ風俗ナリ或時「ツキノイ魚油干魚ヲ船ニ積テ「クナシリ島ノ運上小屋ニ来リ交易シテ代物ヲ米ト糀トニ小間物類ヲ交取リ浜辺ニ丸小…
…糀八升俵ナリ是ヲ三俵ツヽ送リ遣セハ其妾ハ其米ト糀ニテ濁酒ヲ造リ ツキノイ 方ヘ呼使ヲ遣セハ其妾ハ其米ト糀ニテ濁酒ヲ造リ「ツキノイ方ヘ呼使ヲ遣セハ「ツキノイ旅先ヘ連レアル…
…ヲ造リ ツキノイ 方ヘ呼使ヲ遣セハ其妾ハ其米ト糀ニテ濁酒ヲ造リ「ツキノイ方ヘ呼使ヲ遣セハ「ツキノイ旅先ヘ連レアルク妾トモニ手ヲ引レ行テ至レハ饗応ニ濁酒ヲ出シ妾共ニ酒宴シ…
…ヲ遣セハ其妾ハ其米ト糀ニテ濁酒ヲ造リ「ツキノイ方ヘ呼使ヲ遣セハ「ツキノイ旅先ヘ連レアルク妾トモニ手ヲ引レ行テ至レハ饗応ニ濁酒ヲ出シ妾共ニ酒宴シテ遊興スルナリ妾共大勢寄合…
…シモチノツカモウの乙名シユシユ及ひクナシリ島の乙名サンキチ脇乙名ツキノエ等を呼出し此者共は何れもクナシリ島近所百余里隔たる所の海辺場所の重立たる長蝦夷土人なり扨此者共の…
…は都て妻をマチ妾をウツシマチといふ東蝦夷地クナシリノ島の脇乙名にツキノイトいふものあり妻妾都合十八人あり本妻と妾との差別なく諸所に家を作て独身に住はせてをく也或は五六里…
…く也或は五六里或は二三十里を隔て或は海上数十里隔てたる島々にも此ツキノイに限らす富貴なる蝦夷人は妻妾を数多持は土地の風俗なり或はツキノイ魚油干魚類を船につみてクナシリ嶋…
…ツキノイに限らす富貴なる蝦夷人は妻妾を数多持は土地の風俗なり或はツキノイ魚油干魚類を船につみてクナシリ嶋の運上小屋に来り交易して代り物の米と麹と小間物類を請取て浜辺に丸…
…米八斗俵麹八升俵也是を三俵つゝ送り遣せは妾其米と麹にて濁酒を造リツキノイ方へ呼使を遣はツキノイ旅先へ連あるく妾ともに手をひかれゆきて到れは饗応に濁酒を出し妾と共に酒宴を…
…三俵つゝ送り遣せは妾其米と麹にて濁酒を造リツキノイ方へ呼使を遣はツキノイ旅先へ連あるく妾ともに手をひかれゆきて到れは饗応に濁酒を出し妾と共に酒宴をして遊興するなり妾とも…